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2017年1月21日 (土)

保守間の意見の相違について、少々思うところを

ーー以下「余命ブログ」より抜粋編集qazx

ーー読者「加藤」

保守間の意見の相違について、少々思うところを。

過去ログの中に、左翼は分裂し保守は連合するという意味のことが書いてありました。

その記事を目にしたとき、私が青年期を過ごした左翼全盛期の70年代を思い出しました。

左翼は分裂していたのです。

全学連が共産党と袂を分かち、新左翼を作るのですが、内部分裂を繰り返し、果ては派閥(セクト)内で殺し合いを演じた。

ところが、保守の連合に関しては自分の中になんら具体的な形が浮かんで来ないことに気がつきました。

にもかかわらず、余命さんの言葉に素直に共感したのはなぜなのか?

ーー

左翼が描いてみせる楼閣は実現するともしないとも知れぬ机上の理想でしかない。

一方、保守が守ろうとしているものは民族が営営と築き上げてきた歴史や文化であり、今現実にあるこの社会そのものです。

日本の現実社会では様々な見方や意見が渦巻いています。

しかしその社会が人々の協調や譲歩によって日々営まれていることはご承知の通りです。

この協調性や譲歩は支那・朝鮮人とは著しく異なるものです。

日本人の特質とも言えるこの協調性や譲歩は我々が同じ価値観を共有しているという確信に基づいているように思われてなりません。

ーー

左翼は互いの実現するともしないとも知れぬ机上の理想の優劣を競ってついに反目し合う。

一方の保守は、民族が営営と築き上げてきた歴史や文化を同じくし同じ基盤に拠って立つ。

たとえ意見を衝突させることがあっても、最終的には殺し合いではなく互いの肩を叩き合い、互いを認め合うことができるのではないかと。

ーー

保守の中には、そもそもが捏造である慰安婦問題を認めることに他ならないとして、慰安婦合意など論外だと非難する方もおられることでしょう。

先の慰安婦合意は極めて現実的で有効な政治判断であったことが増々明らかになりつつあります。

が、それでもなお、このような原則論が同時に語られることも必要なことではないでしょうか。

安倍首相はそんな原則論など稚拙だと切り捨てたりするでしょうか? 

いや、彼もまた微笑(ほほえ)んで同意するだろうと私には思われるのです。

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