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2017年1月の26件の記事

2017年1月27日 (金)

こころぐ 直次郎で出直しています

eoblogサービス終了を契機に一旦中止の予定でありましたが、やはり時間を持て余してしまい、niftyのこころぐに新しい名前で出稿することにしました。

お早うございます。
突然のブログの中止にたいへん残念な思いで受け取っております。
毎朝、新聞よりもTVニュースよりも一番に目を通させていただいていたブログでした。
余命さんや他の高度な論説の紹介がなにより楽しみでしたし、qazx氏の直接のご感想やご意見も身の引き締まる思いで読んでおりました。
他のブログでは味わえないたいへんバランスのとれたこの欄がなくなるのを心から残念でなりません。日本人としての心の指針でしたから。
私のときとして過激になりやすい思いを柔らかく中和してくださるブログでもありました。
これからの日本と世界が荒々しくなると想像しますが、qazx様もお体などご自愛くださいませ。
そしていつの日にか必ずこのブログを再出発させてくださいませ。
長い間、読ませていただきまして本当にほんとうにありがとうございました。

投稿: 桃山 | 2017年1月25日 (水) 08:50

ーーありがとうございます。また読者になってくださいませ。

qazxsama
 只今ブログを開かせていただきまして、一旦中止というお言葉に唖然と致しております。
 あまりにも長い間、一日も休まず,多岐にわたる内容のブログを発信していただき、その内容が精確で、必ず実現してきたものであるという真実であり、その日本国を思われる真摯で誠実なブログをこよなく愛し、愛読させていただきましたが、慣れ親しんだ愛着の思いはなはだしく、明日からどうしようと思うところではあります。
この百変万化する世の中、今までいただいた大切なブログを心の糧として、しばらくの間、我慢いたします。
 どうかご自愛の上、お健やかにすごされんことをお祈りいたしております。本当にこれまでありがとうございます。心から御礼を申し上げます。

投稿: ローズ | 2017年1月25日 (水) 09:05

ーーありがとうございます。申告で多忙だと申し上げましたが、再開していますのでどうぞ。

朝、店に来てまず、最初に開くページでした。終わってしまうのは非常に残念ですが、私にとって大変勉強になり、改めて歴史を日本人を考えさせてくれるページでした。長い間ありがとうございました。


投稿: ノジマ | 2017年1月25日 (水) 10:13

ーーありがとうございます。あまり変わり映えしないのですが直次郎ブログにもどうぞ。

qazx様
長い間ありがとうございました。
いっぱい教えて頂き本当に感謝しております。
ブログをお止めになるということで、残念で残念で堪りません。
少しお休みになってまた再開して下さることを切に願っております。
寒いですのでどうぞお身体に気をつけてお元気でいらして下さい。

投稿: 星山 | 2017年1月25日 (水) 11:32

ーーお気遣いありがとうございます。感謝です。

半島の酋長により、陛下に対する侮辱発言が行われ、何かおかしいと自分なりに考え始め、今でも読み続けているのが貴ブログでした。バカな左巻きどもからやっと解放されようかという今日、貴ブログの休止は大変残念です。諸般のご事情諸々あるかと思いますが、できるだけ早い時期でにお目にかかれることを祈念いたします。そして、今まで誠にありがとうございました。

投稿: 敷島 | 2017年1月25日 (水) 12:03

ーーありがとうございます。直次郎ブログへどうぞ。

ブログ主様
 以前、「余命」への拙者の投稿と爺様のご回答を貴ブログに取り上げていただいた際、一度だけお礼の投稿をさせていただいた、禿頭斎と申します。
 以前の投稿の際にも申し上げましたが、「余命」を知り得たのも貴ブログ内の抜粋記事からでしたし、同様に「反日・在日」勢力を分析する多くの貴重なブログを知る事が出来ました事、改めて御礼申し上げます。
 残念ながら拙者如きには、毎日、数多あるブログを網羅し、その中から良質な内容を選別することは不可能なことであり、そういう意味に於いても、失礼ながら貴ブログの存在は、拙者にとっての「良質ブログ」の「検索サイト」であり、且つ「良質な記事」の「ダイジェスト」版であった次第です。それを毎日続けられる根気と努力、それに費やす時間と手間は並大抵ではないと敬意を抱いておりました。
 拙者は現在、思う処があって一年近く各ブログへの投稿を控えておりますが、貴ブログにて知り得た多くのブログは、拙者の財産として毎日欠かさず拝読させていただいて居り、ネットを接続し最初に開くのは貴ブログでありました。
 さて、今回のブログ主様の文面を見る限り、ブログの「存在価値」が小さくなったとのお考えからの「中止」の様ですが、多分、お疲れもあるのかと拝察致しております。
 拙者同様、貴ブログに多大の価値を見いだして拝読して居られる読者の方も多いかと存じますので今回の中止は大変残念ですが、救いは「終了」でないこと、ここに一縷の望みを託すことと致します。
 長きに渡り、大変お疲れ様でした。そして、大変有り難う御座いました。
 何卒、息災にてお過ごしくださいますよう。
                                  禿頭斎

投稿: 禿頭斎 | 2017年1月25日 (水) 14:32

ーーご丁寧なお返事ありがとうございます。感激です。

序章の終わりですね。
次を楽しみにしてます。

投稿: いつも見てます | 2017年1月25日 (水) 17:29

ーーどうぞ直次郎ブログにもいらしてください。

長い間お疲れ様でした。幅広い良質な記事の紹介は大変勉強になりました。本当にありがとうございました。
余命チームによる、外患誘致罪告発は第4次まで進み、各地検まで告発対象になりました。北か韓国の動き次第で、指揮権発動、売国奴、在日処理に動くと思われます。氏のブログ停止も一括処理目前、使命は終えたの感情 からと存じ上げます。少しお休みになられた後、また再開していただけたらと、願っております。ありがとうございました。

投稿: たかちゃん | 2017年1月26日 (木) 02:16

ーー身に余るお褒めの言葉、有り難い限りです。

 2000年からですか、17年に渡るワケですね。 私は、未だ15年足らずですが、ソロソロ別の活動をしようかなと思いだしています。

 その契機は、貴方と同じで、書き込みをし始めた事自体、自分が知り得た戦後体制の反日構造を国民に一人でも周知しようと思っての事でしたが、安倍内閣の誕生で、本当に戦後体制の醜い構造が暴き出され始め、左団扇の態であった、サヨク人士も正体が明るみに出て、すっかり信用を失っています。 

 明らかに、世論が変化し始めています。

 但し、国民周知活動は、一定の成果が上がったと云う程度に止まっていて、十二分とは到底言えない段階だと思います。 ですから、私はまだ当分は、今のママを続けたく思いますが、年を取りまして、会社を2度目の定年が迫って居ますので、その後を模索中なのです。

 qazxさんには、何回か拙文を取り上げていただき、恐縮しておりました。 一日も早い復帰を願っております。

投稿: ナポレオン・ソロ | 2017年1月27日 (金) 09:38

ーーソロさんが、私より7つも年下だとは思えないほどで、感心ばかりしています。また直次郎ブログも見に来てください。

貴ブログを通して、様々なブログ(余命三年など)を知ることができました。今では、それらを知人に広めています。これからも、ブログ主様の敷いたレールを進んで行こうと思います。長い間ありがとうございました。

投稿: 内田 | 2017年1月27日 (金) 12:40

ーーまた面白い話しをお目に掛けますので直次郎ブログをよろしく。

2017年1月25日 (水)

ブログを中止させていただきます

2000年あたりから、ブログを書き続けて、名称はブログの不具合でdocdocからqazxへと変へました。そして内容も、最初は自分の意見を書いておりましたが、情報や知識が不足するようになり、他ブログの抜粋編集という形を取らせていただきました。

その内容の殆どが、在日・反日勢力の分析に関連するものでした。そんな堅い内容であるにも関わらず、eoブログの中では在りますが、多くの方に読んでいただく事が出来ました。

ーー

戦後長い間、第4の権力と言われた反日メディアが、我々日本人に、自虐史観と護憲を強制してまいりました。それがネット環境の出現によって、日本人の多くが愛国の情をネット上に発信しだし、同時に戦後体制が在日・反日勢力によって支配されていることが明かになった。

実際2009年~2012年迄、在日・反日勢力に支持された民主党が、政権に就くや、円高不況と産業の空洞化が進みます。そして2012年には、韓国のイ・ミョンバク大統領が日本支配完了宣言を出すに至り、日本人の多くがようやく何がなされていたのかに気づきます。

その結果2012年12月の選挙で、「日本を取り戻す」と主張していた安倍晋三氏が2度目の政権の座に就いたのでした。

ーー

私は、何ゆえに、日本のメディアが、従軍慰安婦や性奴隷そして南京大虐殺を捏造してまで、自虐史観や護憲を日本人に強制するのか不思議でした。そしてネット情報から分かったことは、彼らが敗戦利得者であり、戦後体制を維持しないと利権を失う人たちであるということが分った。

その知見を拡散するためにブログを書いてまいりましたが、もうこの内容は、多くの人が知るものとなって、日本国内の雰囲気も大きく変わろうとしています。それで一旦ブログを中止することにしました。長い間読んでいただきありがとうございました。お礼申し上げます。

2017年1月24日 (火)

陛下が居られない日本などというのは、それはもう日本ではないのである

世界のどの王室も日本の皇室の前では新参者にすぎない。

「みやこ」とは陛下がお住まいになっている「みや」のある場所「こ」なのだが、我々は、794年から続く都に触れることができる。

こんなことができるのは日本だけなのだ。

ーー

たとえば悠久の歴史を自慢している支那では、その歴史の半分以上が異民族による支配だった。

北京は、1402年から明の都だったが、1644年~1912年までは清の都となっている。

しかし清は異民族である女真族の建てた国だ。

現在の北京は1949年に興った「共産党が支配する支那」の首都であり、「みやこ」ではない。

ーー

慶応4年7月17日(1868年9月3日)に江戸が東京と改称され、慶応4年10月13日に天皇が東京にお入りになった。

それで現在の「みやこ」は東京ということになる。

ーー

これまで日本の権力者は陛下の権威をお借りする形で政権を維持してきた。

権力者は、朝敵となることを畏れて、大虐殺をしてこなかった。

この長い時間の洗礼によって出来上がった統治の形は恐らく世界歴史上最も洗練されていると言えるでありましょう。

アインシュタイン曰く、「一系の天皇を戴いてこれたということが、今日の日本をあらしめたと断言できる」と。

それが続くことが大多数の国民の願いでもある。

ーー

そんな国民の願いが日本では国歌になっている。

君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
こけのむすまで

ーー

これは1922年11月16日に初来日して40日間日本に滞在したアインシュタインが伊勢神宮参拝の際の講演時に残した伝言(メッセージ)といわれている。

「近代の日本ほど、世界を驚かしたものはない。この驚異的な発展には、 他の国と異なる何かがなくてはならない。日本は3000年の歴史を通して一系の天皇を戴いてこれたということが、今日の日本をあらしめたと断言できる。私はこのような尊い国が、世界のどこかに一カ所くらいなくてはならないと常々考えていた。世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れるときがやってくる。

その時、人類は本当の平和を求めて世界的な盟主をあげなければならない。この世界の盟主になるものは、武力や財力ではなく、あらゆる国の歴史を遥かに越えた、最も古く、最も尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らなくてはならない。我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国を作っておいてくれたことを……」 (大正12年 雑誌『改造』より)

ーー引用終わり

ーー以下「王室の真実」より抜粋引用qazx

10. 日本の天皇陛下の国際的な称号は「His Majesty the Emperor」

11. 現代では国際ルール上、すべての国家元首は同格であり、即位が古い順に上位となる

12. 現在まで連続する最も長い歴史をもつのは日本の皇室

13. 天皇家の初代神武天皇の即位はBC660年とされている

14. 現在の天皇陛下は第125代

15. 現在確認できる資料から6世紀以降は王朝が交代した証拠がない日本は少なくとも1500年以上続く世界最古の王家といえる

16. 日本の皇室はその長い歴史において世界で唯一「万世一系」を貫いている

17. エチオピア皇帝家はメネリク1世を始祖としてBC10世紀から3000年続く世界最古の皇室とされた

18. エチオピア帝国は1974年ハイレ・セラシエ1世廃位により消滅

19. 欧州では中世から各国間で政略結婚を繰り返し、各王室同士がなんらかの血縁関係で結ばれていることが多い

20. 欧州で最も古い王室はデンマーク。ゴーム王(936~958年)を初代として現在54代

ーー抜粋ここまで

ーー以下「頂門の一針、加瀬英明コラム」より抜粋編集qazx

11月23日「勤労感謝の日」は、正しくは「新嘗祭(にいなめさい)」である。

一年を通して、この日だけ、天照(アマテル)神が超近代都市の真ん中、緑が茂る皇居の賢所(かしこどころ)に降臨される。

ーー

新嘗祭に当たっては、陛下が皇居にある宮中三殿の賢所において、親しく祭祀を執り行われる。

アマテル神が降臨されると、陛下が新穀を皿に盛りつけられ、神におすすめして、共に召し上がられる。

この時に用いられる皿は、柏(かしわ)の葉である。

陛下がお使いになられる箸は箸の原形といわれるものだ。

毎年、京都の石清水八幡宮の境内に群生する竹が献上されて、この大祭のために箸がつくられる。

竹を削いで火で炙って、ピンセット状にしたものだ。

このお祭りは、記録の無い昔から連綿と続けられている。

これが日本という国の形なのである。

ーー

現行憲法は第1章第1條で、天皇を「日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定している。

しかし、陛下が居られない日本などというのは、それはもう日本ではないのである。

陛下の存在が日本を日本たらしめてきたからである。

いま生きている国民が何人集まっても、日本国には成らないのだ。

陛下の地位は、「主権の存する日本国民の総意に基く」のではなく、日本国が出来上がった時から、そしてこれから先も変わらないのである。

国民が、陛下を、その地位にお就(つ)けしているのでは決してない。

ーー

「日本国憲法」は、昭和22年の連合国軍の占領下に発効している。

占領軍は、「この憲法草案を受けいれなければ、天皇の一身の安全を保障できない」と威嚇し、日本政府に押し付けた。

日本国憲法の原文は、日本語ではなく英語である。

1、占領下に占領軍によって強制された
2、原文は英語である

そして日本による復讐を封じる為に「国軍不保持、交戦権放棄」の条文を持つ。

これでは、日本は、自力で侵略者に対抗することはできない。

つまり現行憲法は、日本国の憲法としての資格がない。

ーー

日本は敗戦以来、米国の保護国となり、米国の武力により侵略者から守られてきた。

侵略者が日本を侵略しようとしなかったのは、米軍の軍事力の存在があったからだ。

米国の保護国から日本が脱するには、侵略者に自力で対峙できる憲法を持つ必要がある事は言うまでもあるまい。

2017年1月23日 (月)

日本弁護士連合会が在日や反日勢力の利権組織となっている

ーー以下「余命ブログ」より抜粋編集qazx

ーー読者「日本発進」

余命三年時事日記に初めてふれた時、どんな些細なことでも日本再生に役立てないかという思いで毎日を過ごしてきました

この数年間、『余命三年時事日記ブログ』が存在し続けなければならない理由がありました。

もう余命がいなくても…という話が過去にありましたが、私は一度たりともそう思えませんでした。

在日・反日勢力が、差別だ人権だと法を歪め、嘘と日本国民の犠牲で作り上げた戦後体制を崩す。

その時がもう目の前に来ていると実感できるようになりました。

私も当初の告発代表者に応募した一人でした。

あの時は不安でしたが、今はもう不安よりも、やることをやるだけだ!という思いの方が強いです。

ーー余命

在日や反日勢力の日本人奴隷化の陰湿な手段として、大きなものに司法乗っ取りがある。

特に訴訟において彼らに不利な事案は告発代理人を押さえ込むということで対処してきた。

一般国民が個人で訴訟対応するのはまず不可能である。

個人でもできるという法律条文はまさに空文であった。

日本における唯一の弁護士連合会、日本弁護士連合会が在日や反日勢力の利権組織となっているからである。

ーー

事案によっては北星学園事案のように400名を超える弁護士集団で原告を恫喝(スラップ訴訟)する。

日本では違法ではないが、明らかに恫喝訴訟である。

ーー

その一方で、横浜地検伏見恫喝刑事告発のような事案が生じている。

当初、地検は恫喝と偽計業務妨害で受理し、起訴する方針だと聞かされていた。

それが、突然、不受理、書類返戻となり、その理由書も出されていないのだ。

平成28年8月2日に告発の事案がずっと放置された結果である。

ーー

このような「告発を恫喝、恐喝する明らかな犯罪行為」を告発する国民の声を、唯一の公訴機関である検察が問答無用で無視したのである。

これについては再度、証拠書類を追加し、あらためて告発することになる。

が、再度、門前払いとなれば、少なくとも担当者及び担当部署の告発まで考えなければなるまい。

ーー

神奈川県が神奈川国と称され揶揄されるようになってから久しい。

が、その汚染度は第一次告発の対象者が横浜地裁判事、日韓弁護士5名、在日組織、川崎市議会議員、川崎市長、神奈川県知事とある。

これに警察と検察が加われば県の行政組織そろい踏みになる。

ーー

この状況からの反撃開始だから、まあ、ご指摘のように凄いことをやっていることになる。

横浜地検への告発は6月5日川崎デモの関係では初めての告発である。

東京地検への告発事案と重複するものがあるので、当然、東京地検同様に返戻ということになるだろう。

それゆえ、東京地検への再告発の返戻を受けて、1000人告発に踏み込みたい。

ーー

ーー以下「余命ブログ」より抜粋編集qazx

釜山慰安婦像 韓国ようやく「マズイ」と気付いた?日本の対抗措置に動揺と反発… (産経新聞) – Yahoo!ニュース(抜粋編集qazx)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170121-00000522-san-kr

昨年12月末、韓国・釜山の日本総領事館前に慰安婦像が新たに設置された。これに対し日本政府が、「極めて異例の強硬措置」(韓国紙)を取り、韓国政府などには狼狽(ろうばい)の様子がうかがえる。(ソウル 名村隆寛)

■日本の神経逆なでに“快感”
日韓合意で、韓国側が「適切に解決されるよう努力する」と約束した。ところが、ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦像が撤去されないどころか、新たに釜山にも設置された。

これらの行為は「外国公館の安寧と尊厳を守るよう」に定めたウィーン条約に違反している。

彼らは外国との合意の精神や趣旨、国際条約を破っていることなど、全く意に介していない。むしろ、日本を刺激することに“快感”さえ覚えているようだった。

ーー余命

日本人の嫌韓意識がますます増大しつつある。

在日や反日勢力の駆逐には紛争とか戦争とかいう事態が理想的である。特に民族問題が絡む精算には願ってもないことで、今、まさにそのレールの上をまっしぐらという状況だ。

韓国はあしらって大混乱させておいて、そのあいだに日本のガンを取り除くという筋書きは見事と言うほかはない。

ーー

日韓断交が現実となれば、それこそ戦後の粗大ゴミがまとめて処理される。現在、いらないゴミに不要のレッテルを貼っているところである。

週末に欠けて入管通報、第四次告発要請状発送、官邸メールと猛烈に忙しいが、この中で余命と治安関係OB、自衛隊OBとの懇談会が相次いで設定された。余命側からの要請ではない。

もちろん別設定だが何か動きがあるのだろう。名前がわからないので現役の有無は承知していない。とりあえずお知らせしておく。

ーー前回、再終段で以下のように記述している。

(中略)国連安保理へのやくざ国際テロリスト登録が現実味を帯びてきた。

すでに日本においてはテロ三法が成立しており、国連安保理テロリスト委員会の国際テロリスト指定は、無条件で、日本でもそのまま指定されることになっている。指定されると在日やくざはすべて強制送還されることになる。在日朝鮮人国際テロリストに入管特例法は適用されない。

ーー

要するに強制退去ということだが、これについては昨年テロ法が成立した時に、その内容と施行について米国との調整が必要だと記述している。

その時点でも米国財務省がすでに実施していた日本のやくざ組織の金融制裁リストをテロリスト委員会へ登録することは可能だった。

が、当時は指定されている組織と個人がわずかで一括処理が難しいことと、国籍の確定や居住の特定だけでなく、必須のマイナンバー制度がきちんと運用されるまでにはあるていど時間が必要ということで米国との折り合いがついている。

安倍総理の筋書きでは共和党の勝利が最高の結果で、すべて連動している。

金融活動作業部会(FATF)も静かに共謀罪の成立を見守っており、国際テロリスト国家と国際テロリストの制裁と処分は日米欧共通の筋書きとなっている。

2017年1月22日 (日)

西郷は詩人だったから(あの偉業が)できたのだ

ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集qazx

平泉澄『首丘の人 大西郷』(錦正社)

「死に臨んで故郷を忘れず、元の丘の方へ首を向けて死ぬのが孤のならわしである」

西郷は延岡に敗れて可愛岳を越え、山川を超え、けものみちを歩き、とうとう城山へ帰り着く。鹿児島は故郷、死ぬ場所は決まっていた。

「晋どん(別府晋介)、このあたりでよか」と言って介錯される前に、西郷ははるかの皇居を遙拝した。

ーー

西郷隆盛は熱狂的愛国の精神で真心をこめて維新に邁進した。

平泉氏は水戸学の尊皇思想が維新回転の基礎的思想になったとしている。

その水戸学の源流は古事記と日本書紀にあり、山鹿素行、北畠親房、楠木正成、菅原道真そして義経が英雄として語られる。

越前からでて攘夷派の世論を席巻した天才・橋本左内は開国維新を説き、幕府と鋭角的に対立した。

「ひろく豪傑俊才を集め、皇国日本本来の姿に復して、天皇の御旗の下に、三千万の国民一致団結し、港を開いて万国と交わり、採長補短、慎重に、同時に急速に、欧米の学問文化を採用し、世界に雄飛すべし」

この橋本景岳(左内)の計画は、井伊大老の登場により瓦解した。

橋本左内の思想的源流は藤田東胡などの水戸学であり、西郷もまたその藤田から学ぶことが多かった。

それゆえ西郷は、もっぱら武士道、道徳、尊皇攘夷を語った。こんな西郷にあっては諜報、陰謀、陽動などの軍略は不向きであろう。

西郷の死後、庄内藩士がまとめた『大西郷遺訓』には、謀略優先の孫子と無縁の道義の世界が拡がっている。

平泉氏は橋本左内を吉田松陰より上位に置いたかに見える。だが、2人は安政の大獄の犠牲になって、はやくに世を去った。しかし尊王思想は残った。

西郷はこの安政の大獄を逃れようと僧月照とともに海に飛び込むが一人蘇生する。島津藩は、藩をあげて西郷を匿い、菊池源吾に名を換えた西郷を、奄美大島に逃がす。

一人生き延びたことに天命を感じた西郷の胸裏に去来していたのは尊王へのさらなる確信である。

ーー

西郷に対比される大久保利通は冷血な打算をひめた実行者である。西郷は先駆者で力まかせの辣腕怪腕をふるったが、維新後の国づくりの先見力、構想力があったのはむしろ大久保であった。

ーー

戊辰戦争のおり、薩長軍の兵力は幕府軍の十分の一でしかなかった。ところが相手を烏合の衆とみた薩長軍には騎虎の勢いがあった。

何よりも将軍慶喜は朝敵に成ることを恐れる人だったのだ。

「承久の乱」でも、北条泰時は途中で鎌倉へ引き返し、天皇が自ら兵を率いた場合の対処を義時に尋ねた。

義時は「天皇には弓は引けぬ、ただちに鎧を脱いで、弓の弦を切って降伏せよ。都から兵だけを送ってくるのであれば力の限り戦え」と命じたと言う(『増鏡』)。

将軍慶喜は「天皇には弓は引けぬ」として、一目散に逃げ出した。会津は京都守護職として最悪の貧乏くじを引いた。

これでは幕府軍も戦えない。

一方の薩長は、薩英戦争、馬関戦争をくぐり抜け、自らが血路を切り拓いたという実戦の経験からも火力に富み、それを背景に士気が高い。

ーー

ここで忘れてはならないのが列強の介入である。

幕府にはフランスがテコ入れを申し入れ、薩長軍には英国が絡んだ。

(アーネスト)サトウが、『なんぞ英国へご相談なされたき儀も御座候はば、承知いたし候』と持ちかけてきた。

西郷は之に答えて、『日本政体変革の処は、いずれ共、我々尽力致す可き筋にて、外国の人に対して面皮もなき訳と返答いたし置き候』」と、英国の介入を決然と峻拒した。

インドもシナも、いや朝鮮も、ジャワも、アジアのことごとくは外国が介入し、国内が分断され、あげくは西洋列強の植民地となった。

日本は西郷らの英断によって列強の介入を潔しとせず、自立独立の道を尊んだのだった。
 
ーー

ところが後年、西南戦争で熊本鎮台を囲んだ西郷軍は、戊辰戦争とりわけ鳥羽・伏見の戦役を思い出し、官軍の「十倍の兵力はものの数にあらず、吹き飛ばしてみせようぞ」と怪気炎をあげた桐野利秋の、戦術論ともいえない、ひたすらの決戦論に傾いた。

ここには戦争の戦術、戦略が乏しく、また兵站の配慮がなされていない。おどろくほど稚拙である。

そこには科学的合理性がない。論理性より情念が先行している。

西郷にはもとより軍略なく、したがって薩軍には軍議らしい軍議もなく、熊本を無視して長崎か小倉を先に陥落させれば、西郷軍の勢いに押されて各地の武士が立ち上がるだろうと期待した。

適切な判断の軍略は桐野、篠原国幹らによってあっさりと退けられた。

ーー

反乱軍には西郷を慕って九州各地から不平武士らが大挙して駆けつけた。

しかし西郷は本陣にあっても殆ど発言せず、側近に判断を委ねた。

まさに「天命に従う」心境なのだ。

反乱側には、勝つための戦略はなく士気と抜刀隊に依拠して勝てるとする精神論が支配していた。

その精神論は、尊王思想というより西郷の「日本精神、武士道、正義の思想」に殉じようというのだ。

西郷隆盛は最後の決戦地となる延岡まで兵士の前に現れることはなかった。

西郷は、親衛隊に徹底的に身辺を守られ、戦闘現場に現れたのは延岡の和田越峠と、自決の城山だけだった。

奇怪とも言える。
 
ーー

ふりかえれば西郷は、戊辰の役で、にわかに官軍となった薩長軍を統率する最高司令官となっている。

しかし戦闘の戦術は部下が裁定していたのだった。

江戸無血開城のあと、鹿児島を行き来して、越後が苦戦と聞けば駆けつけ、函館が苦戦と聞いてまたも鹿児島から新兵を率いて駆けつけた。

西郷が、戊辰を最後まで見届けたとはいえ、具体的な戦闘の記録はない。

西郷はあくまでも官軍の精神的支柱だった。

ーー

軍神として慕われても、西郷が、実際の戦闘を指揮していたわけではなかったのだ。

江戸の上野寛永寺に籠もった旗本の残党や幕臣らとの戦闘は大村益次郎に任せた。

薩長は時の勢いを加えて江戸へ攻め込む算段をととのえて、すでに甲府は落としている。

この段階で幕府は密使を立てて山岡鉄舟を駿河に陣取る西郷隆盛のもとへ派遣した。

西郷は山岡の提案をこの時点で呑んだのである。

この段取りのあとに、ようやく幕府の正式代表として勝海舟が登場する。

西郷は相手の話を聞き入り、条件をその場で呑み、約束したことを違えなかった。

ーー

勝海舟とて、なんの手も打っていないわけではなく談判決裂のおり、江戸を焦土として、決戦に臨む覚悟と兵力の構えがあった。

新門辰五郎ら火消し仲間は、その段取りさえ済ませ、西郷・勝会談の結果を待った。

危機に直面したときにすこしも慌てず、事態の収拾に悠然として対峙できる人徳は特筆すべきことだ。

我が師・林房雄は、「西郷は詩人だったから(あの偉業が)できたのだ」と常に言っていた。

ーー

平泉博士も、この立場である。

西郷は、「天成の詩人であって、その趣向、その修辞の美しいばかりでなく、本人の人柄と経歴とが詩であり、そこにいわゆる風雅の墨客には決して見られない天来の風韻に接する感じ」があった。

明治維新の三傑とは西郷、大久保、木戸を言うが、西郷を育てたのは英邁な藩主・島津齋彬であり、大久保が活躍の場をえたのは西郷が三年の島流しの間に島津久光の信任を得たからである。

木戸孝允の突出は毛利藩内の内部闘争が激しく人材が払底し、久坂玄瑞も、高杉晋作の斃れ、残るは山県有朋、伊藤博文ら若輩たち、したがって藩の外交を一手に引き受けた。

大久保を背後で支えたのは岩倉という陰謀たくましき公家であり、また小松帯刀の支援が強靭な支えとなった。

西郷の周りから詩が生まれたが、大久保と木戸の合理主義の周囲に詩はなかった。

後者ふたりが残したのは名文の漢詩である。
 
ーー

西郷は「道義国家の建設」という漠然として茫洋たる目標の下に行動した。

が、大久保と木戸には、新国家はいかなる体制で運営するべきかという構想があった。

西郷は維新の達成に貢献したが、新国家建設に対しては大久保と木戸が熟慮しており、西郷にはこれという具体的政策はない。

しかし廃藩置県という荒治療をやりとげるには、西郷が必要だった。

ーー

これが明治六年の政変の伏線である。

なぜ西郷と大久保の親密な風月はすさまじい風とともに去り、ふたりは対立するようになったのか。

しかも西郷は政治的野心なく、主唱した「征韓論」が破れるとさっと故郷へ帰った。

木戸は病気を理由に、征韓論騒ぎから日和った。

大久保から見れば遣欧使節団の帰国までの間に、あたらしい政策決定をしないという取り決めがあったにも拘わらず西郷はさっさと、しかも次々と新政策を打ちだして実行に移していた。

約束が反故とされたことに大久保は立腹したという解釈がまかり通った。

文明開化を急ぎ、伝統を台無しにすることに耐えられないとして西郷は鹿児島へ憤怒とともに帰ったとされた。

ーー

ところが、平泉博士は次の分析をされる。

明治六年十月十五日の閣議において、一度は征韓論の西郷の主張が通った。

散会後、舞台裏で、岩倉を中心に陰謀が進んだが、西郷はまったく動こうとしなかった。

ふたりの対決の原因の一つは西郷の天皇への直訴を恐れたからだ、と。

「宮中に対する態度の相違である。西郷が明治天皇の厚き御信任を戴いていた事は、西郷の病気を御憂慮遊ばされ、侍医およびドイツ人医師を御差遣になり、診察せしめ給うた一事によっても明らかである」

「而るに西郷は、朝鮮遣使問題について、太政大臣を差し置いて、直接天皇の上奏し、親しく天裁を仰ぐことは畏れ多い事、非礼の義なりとして、希望もしなければ考慮もしなかった」

西郷は、「これは天命如何とする能わざるものと観念したのであった」。

岩倉は、「その西郷の無私純忠の精神を理解せず、西郷は直接上奏、すなわち直訴するかも知れないとして恐れた」。

この物証は、十月二十に日に岩倉が大久保に充てた書状で明らかとなっている。

ーー

西郷は詩人だった。

詩は天地(あまつち)を揺らし
人々を全力で走らせ
基幹から国を動かす

平泉博士は最後にもう一度このことを強調して曰く。

「詩を作った人は、明治の功臣に数多くいるが、西郷のは文字を弄び平仄を合わせた程度のものではなく、生命が躍動していて、人間そのものが詩であるように感じられる」

「詩もよいが書簡も面白い。英傑の磊々落々たる気風が書簡に流露しているのは、前には豊臣秀吉、後には西郷、双璧と言って良い」

秀吉はのびのびとした和歌の秀作を残しているので詩人だったかも知れないが、ときに冷血な謀略をしかけ、戦闘には冷酷に対応し、同時に人たらしであり空前の陰謀家だった。

西郷とは気風が異なる。

ーー

本書は評者に大きな感動をあたえたが、読み終えてまだその余韻が胸裡に去来している。

幕末維新を語った歴史評論、歴史書のたぐいは数知れずある。本書は西郷の熱血と愛国が支配しており、西郷論として、間違いなく名作として残るだろう。

2017年1月21日 (土)

保守間の意見の相違について、少々思うところを

ーー以下「余命ブログ」より抜粋編集qazx

ーー読者「加藤」

保守間の意見の相違について、少々思うところを。

過去ログの中に、左翼は分裂し保守は連合するという意味のことが書いてありました。

その記事を目にしたとき、私が青年期を過ごした左翼全盛期の70年代を思い出しました。

左翼は分裂していたのです。

全学連が共産党と袂を分かち、新左翼を作るのですが、内部分裂を繰り返し、果ては派閥(セクト)内で殺し合いを演じた。

ところが、保守の連合に関しては自分の中になんら具体的な形が浮かんで来ないことに気がつきました。

にもかかわらず、余命さんの言葉に素直に共感したのはなぜなのか?

ーー

左翼が描いてみせる楼閣は実現するともしないとも知れぬ机上の理想でしかない。

一方、保守が守ろうとしているものは民族が営営と築き上げてきた歴史や文化であり、今現実にあるこの社会そのものです。

日本の現実社会では様々な見方や意見が渦巻いています。

しかしその社会が人々の協調や譲歩によって日々営まれていることはご承知の通りです。

この協調性や譲歩は支那・朝鮮人とは著しく異なるものです。

日本人の特質とも言えるこの協調性や譲歩は我々が同じ価値観を共有しているという確信に基づいているように思われてなりません。

ーー

左翼は互いの実現するともしないとも知れぬ机上の理想の優劣を競ってついに反目し合う。

一方の保守は、民族が営営と築き上げてきた歴史や文化を同じくし同じ基盤に拠って立つ。

たとえ意見を衝突させることがあっても、最終的には殺し合いではなく互いの肩を叩き合い、互いを認め合うことができるのではないかと。

ーー

保守の中には、そもそもが捏造である慰安婦問題を認めることに他ならないとして、慰安婦合意など論外だと非難する方もおられることでしょう。

先の慰安婦合意は極めて現実的で有効な政治判断であったことが増々明らかになりつつあります。

が、それでもなお、このような原則論が同時に語られることも必要なことではないでしょうか。

安倍首相はそんな原則論など稚拙だと切り捨てたりするでしょうか? 

いや、彼もまた微笑(ほほえ)んで同意するだろうと私には思われるのです。

2017年1月20日 (金)

「強制連行」というのは、ソ連が、「日韓分断」を目的に、日本共産党員に作らせた「虚構」だった

ーー以下「余命ブログ」より抜粋編集qazx

ーー読者「たぬき」

在日・反日勢力を武力によって殲滅する事態になったとして

日本は民衆政治国家なので、政権与党は、それ以外の選択肢がなかったことを国民に説明し、納得されないと政権与党の座を失ってしまう。

それを防ぐために様々な情報が公開される。

1、戦後の騒擾事件で重傷を負った警察官の写真・カルテ
2、在日・帰化人による犯罪の裁判資料
3、通名報道で隠されてきた犯罪者の本名・出自
4、政官界の帰化人の割合
等々。

国民は、今まで在日・反日勢力が隠してきた、それらの証拠を目にして憤慨し、既成メディアに対する不信感は頂点に達することでしょう。

特に、いきなり事実と向き合うことになるお花畑な人たちは冷める間もなく熱し続けられるので暴発する可能性が高い。

始まってしまえば一気でしょうね。

ーー余命

南北朝鮮はやりすぎた。

ねつ造と隠蔽の歴史が次々と暴かれ、日本を貶め蚕食する実態が次々に明るみにでてきた。

李明博が完了宣言をだすほど完璧に日本は乗っ取られていた。

2012年、安倍政権の復活により反撃が始まり、2012年余命も呼応した。

ーー

ここ1年で汚染部署があぶり出され特定されてお掃除が始まっている。

すでに聖域は存在しない。

司法では在日汚染の筆頭として諸悪の根源と名指しされた日弁連をはじめ、その中の在日弁護士会、また先般、外患誘致罪で告発するも返戻した東京地検までが大掃除の対象となっている。

在日や反日勢力にとって検察は最後の砦となっている。

ここが突破されれば彼らに残された道は韓国あるいは北朝鮮への帰国しかない。

強制連行された彼らにとっては最高の形だが、なぜか日本にしがみついている。

安倍総理の決断次第だが、余命の方の準備は2月半ばでほぼ完了するので3月あたりに大きな動きがありそうだ。

あっ!これは妄想である。
余命は妄想ブログである。
はずれたことはないけれど...。

ーー抜粋ここまで

ーー以下「ねずブログ2014/9/13」より抜粋編集qazx

背乗りとは、昨今ネット界隈などで周知されている警察用語です。

ーーwikipediaから抜粋

背乗り(はいのり)とは、工作員が他国人の身分・戸籍を乗っ取る行為を指す警察用語。

周囲に気付かれないよう身寄りのない人が狙われやすいという。

具体的には、死んでいる日本人、もっと言えば殺した日本人の戸籍をのっとり、その人物に「なりすます」ことだ。

特に戦後の混乱期などは、戸籍が売買された。
また戦死者等の戸籍をのっとる例もあった。

ーー引用ここまで

朝日が報じ続けた慰安婦証言の吉田清治氏 証言も経歴も虚構
夕刊フジ2014年9月8日(月)16時56分配信

朝日新聞は32年もたって、吉田清治氏の「韓国・済州島で慰安婦を強制連行した」といった証言を虚偽と認めた。

この吉田氏の経歴について、産経新聞が8日付朝刊で徹底検証している。

その素性は、あまりにも怪しく、謎に満ちたものだった。

ーー

吉田氏の本名は吉田雄兎(ゆうと)。
清治はペンネームで、他に別名として東司、栄司を名乗っている。

著書で「本籍・山口県」としているが、実は福岡県だった。

吉田清治とは、いったい何者なのか。
日本人なのか。

ーー

門司市立商業学校の卒業生名簿には「吉田雄兎」の名がある。
しかし、その卒業生名簿には「死亡」と記されている。

1937年、満州国地籍整理局に務め
1939年から中華航空上海支店に勤務
調査では中華航空社員会で吉田を記憶する者はいなかった。

1940年に朝鮮人金九(キム・グ)を輸送し、懲役2年の刑を受けた。

1940年に朝鮮民族主義者幇助の罪で逮捕・懲役刑を受けた。

と言うことは、日本人である可能性は低い。

ーー

吉田氏が結婚したのは「慰安婦狩り」を行った1年後のことだ。

家内の日記の中にあったと著書にあるので、著書からして虚偽である。

ーー

1947年に下関市議に日本共産党から出馬し落選。

意外に知られていないが、「日本共産党」は、「国際共産主義組織(コミンテルン)日本支部」を前身としている。

国際共産主義組織命令(コミンテルンテーゼ)を受け、世界革命を起こすために戦っていた。

この戦うとは、日本で暴れ日本社会を混乱させることだ。

つまり日本共産党は、選挙によらずに、武装蜂起によって政権を取ることを目指している団体である。

特に、その国際共産主義命令には、「天皇を殺せ!」と書いてあり、それは、国体を否定するものであり、当時社会に大きな衝撃と恐怖を与えた。

「国際共産主義組織(コミンテルン)日本支部」の存在は、当然、治安が悪化する。

その対策法が、治安維持法であったのである。そのものズバリの名前である。

共産主義者の暗躍で治安維持が難しくなってきたという時代背景を考えると、この法が作られたのは当然だという気がする。

ーー

さて、その「国際共産主義組織コミンテルン日本支部」だが、名を変えて「日本共産党」になる。

「日本共産党」は日本を愛する日本国民のための政党ではない。

というより、日本人に悪意と敵意を持つ共産党組織の工作員集団、暴力集団である。

それで日本共産党は、殺人を始めとしてここでは書ききれないほどの暴力事件を起こしている。

ーー

戦後、僅か2年しか経っていない状態で、日本共産党から市議選に出馬、この意味は恐ろしい。

つまり吉田精治は、言い換えれば、戦中から「ソ連の代理人だった」可能性がある。

日本共産党というから、意味がわからなくなる。
その実態は、国際共産主義組織日本支部のままなのだ。

日本の共産党ではない。
党員は、日本国を愛してはいない。

日本共産党は、国際共産主義組織の日本支部に過ぎず、ソ連(現在では支那共産党)の指示で動いていると考えるべきなのだ。

ーー

当時の政治思潮は、自由と平等を巡る争いであった。

そして自由主義陣営と、平等主義陣営とに分かれて、覇権を争っていた。

平等主義というのは、共産主義の事である。

では、国際共産主義組織(コミンテルン)は、平等主義陣営を増やそうとして何をやっていたのか。

①自由主義国家同士を「戦争させ」疲弊させること。
②その国の軍備を弱らせ、相対的に共産主義国の軍事的パワーを向上させること。

ーー嘘ではない。

①から行こう。

有名なハルノートを、最後通牒に仕立て上げたのは、アメリカ政府中枢に入った、ソ連共産党の代理人・ハリーホワイトであった。

何がなんでも戦争を回避したかった日本を、譲れぬライン最後通牒まで追い込み、真珠湾攻撃をさせたのである。

だから、フランクリン・ルーズベルトは、ハル・ノートを議会に対して秘密にした。

真珠湾攻撃に激怒し、議会で演説し米を参戦させた、共和党議員ハミルトン・フィッシュは、開戦後ハルノートの存在を知り、「ルーズベルトの狂気」を非難する本を書いている。

ーー

次に②の軍備を、、、のくだりだが

こちらは今でも同じことをしているので説明は割愛してもいいだろう。
世界中で同じことをやっている。

ーー

米に代表される自由主義諸国と、ソ連に代表される平等主義諸国、これら諸国の覇権争いが冷戦だった。

両陣営が実際に戦火を交えたのが、朝鮮戦争である。

両陣営が支援して、南北朝鮮を戦わせた。
いわば内戦に両陣営が加担したのだ。

南北に分かれたものの、直前まで、同じ朝鮮人であった。

戦争で同程度に疲弊した両国は、自由陣営と、平等陣営の絶好のショーウィンドウとなった。

ーー

北は、平等主義のショーウィンドウに、南は、自由主義のショーウィンドウとなった。

戦後、日本は、自由主義陣営に属し、南支援が日本政府の方針となった。

と言うことは、日本共産党の方針は、「北を天国だ」と称して、日本政府の南支援を邪魔することになる。

つまり日本共産党員の吉田清治は、「日・南分断工作」をしていたことに成る。

>1970年ごろには福岡県の日ソ協会役員に就いた。

これからすると、吉田精治は、ソ連の工作員であり、強制連行捏造も、「日・南分断工作」の一つであったことに間違いなさそうだ。

ーー抜粋引用ここまで

上にも記載されていますように、朝鮮戦争後、「戦争で同程度に疲弊した南北朝鮮両国は、自由陣営と、平等陣営の絶好のショーウィンドウとなった」のです。

いわば米ソの情報戦の場にされた、ということです。

だから、自由主義陣営の指導国・米の命令によって日本がせっせと南に資本と技術を支援してきた。

もちろん日本は、そうすることで、米国市場を与えられ、経済力を付けることができた。

つまり南の「奇跡の復興と発展」は、自由主義陣営が、平等主義陣営に見せつけるために演出したものだった。

ーー

南の「奇跡の復興と発展」は「意図してつくられた冷戦の虚構」に過ぎないということです。

ですからこの虚構は、冷戦が終われば、終ります。

南経済は、日本からの支援なしには、自立できない。
一瞬にして崩壊してしまう。

ーー

そのことをよく知っている南は、日本から支援を得る戦略を立てた。

それで、強制連行をでっち上げます。

そして強制連行は、日韓基本条約対象外だと主張して補償を得ようとしたのです。

ところが、それを朝日は「捏造であった」と認めた。
つまりこの時点で、南は、補償を失った。

そして今、南政府は、李氏朝鮮時代を忘れたかのように支那にすり寄っています。

ーー

朝鮮人は、日本のような記録つまり歴史を持っていません。

その証拠に朝鮮人は、李氏朝鮮時代が人民にとってどれほど酷(びど)いものであったか、知らない。

つまり、その原因が清国の殖民地にされていたからだと言うことを歴史から学べていないのです。

半島諸国は、2千年来、支那の植民地でした。

国内では、政権争いを繰り返し、勝者が敗者を抹殺していたのです。

これでは李朝が、世界最貧国になるのは当然なのです。

ーー

「強制連行」というのは、ソ連が、「日南分断」を目的に、日本共産党員に作らせた「虚構」だった。

南政府は、それを日本の支援を得る道具として使うようになった。

しかし1991年にソ連が崩壊すると、日・米が南へ支援する根拠が無くなった。

時代が変われば、わめこうが騒ごうが南は、放置されるだけなのです。

ーー

その変化は日本の政治の世界でも起こっている。

日本の政治家は、反日か親日かが、有権者の判断基準に成りつつあることに気付くべきでしょう。

朝日も、左翼も、自ら反日のレッテルを張られるような行為をしてきた。

これでは、もう日本国民からの支持は得られないということなのです。

2017年1月19日 (木)

歴史テロ情報収集局も作って近隣諸国や国内反日の悪意に立ち向かうべきである

ーー以下「宮崎正弘ブログ、読者の声(道楽Q)」より抜粋編集qazx

1月20日にはトランプ新大統領が誕生する。

米国史上初めて全くの政治ど素人が大統領職に就く事になるが国際情勢への影響はどうなるか。

同様に政治素人オバマ現大統領は就任当初・助言者らに偏った情報を吹き込まれ安倍晋三を危険視してなかなか会談しなかった。

が、安倍がオバマの要求に妥協した所為か日米関係は良好である。

ーー

オバマの中東への介入と民主化支援には成果を期待した。

だがネタニヤフのイスラエルは、占領下ヨルダン川西岸地区で非妥協的にユダヤ人入植地建設を推し進めた。

結果として、米国イスラエル関係は緊張している。

ネタニヤフはさらに米国がイスラエルの宿敵イランと交わした核合意を阻止すべく米国議会工作した。

そのことがまたオバマ政権を怒らせた。

ーー

米国は世界最大の情報機関NSAを軸に英国・カナダ・豪州・NZなどの英連邦諸国とエシュロンやプリズムと言った電子情報盗聴傍受の仕組みを持っている。

これらアングロサクソン五ヵ国の情報機関連合体を5眼(ファイブアイズ)と呼ぶ。

5眼を使って敵対国やテロ組織のみならず友好国の情報すら収集している。

当然イスラエルや日本などは蚊帳の外である。

ーー

先月、ルモンド紙が英国GCHQがイスラエルの首相官邸のみならず外交官や政治家や学界関係者をも監視していると報道。
http://www.lemonde.fr/pixels/article/2016/12/07/britain-has-spent-years-spying-on-israel-s-leaders_5044899_4408996.html

実は英国とイスラエルの諜報戦争はシオニスト国家独立前から起こっている。

ナチス党が台頭し1933年1月30日にヒトラー内閣が成立すると、ユダヤ難民が英国の国際連盟委任統治下のパレスチナにも流出した。

ユダヤ人口の増大に脅威に感じたアラブ人が排斥運動を起こす。このパレスチナ・アラブ大乱は1936~1939年まで続く。

パレスチナの英国委任統治政府はその対応に手を焼き、英国支配層は対応策について円卓会議にかけた。

それが英国内閣が1939年5月に発表したマクドナルド白書である。

ーー

その内容はパレスチナのユダヤ人社会がアラブ人暴動鎮圧で英国に協力したにも拘わらず欧州から逃げて来るユダヤ移民を著しく制限するものであった。

勿論在パレスチナのユダヤ人社会には飲める話では無かった。

が同年4月既に自主防衛組織ハガナーに非合法移民移送の専門機関を立ち上げて対応した。

だが、欧州各地から秘密裏にユダヤ難民を乗せる船の出航を英国は諜報機関を使って監視して妨害したのだった。

ーー

当時在パレスチナのユダヤ人社会に英国諜報部につながるスパイが居た様である。

そのスパイを洗い出す為に1939年に作られた組織が「頭魚(レ-シュ・ヌ-ン)」と呼ばれたハガナーの防諜局である。

頭魚は逆に英国委任統治政府の各組織にスパイを浸透させた。

特に英国委任統治警察の刑事捜査局CIDが主敵であった。

頭魚は翌年にはハガナーの統合情報局に吸収される事になるがしばらくは組織的実態はそのまま継続した。

こうやって英国との仁義無き諜報戦争でユダヤ人達の諜報機関は磨かれていったのだった。

ーー

一昨年、日本にも対外情報機関の卵となるべき組織である国際テロ情報収集局(ユニット)が設立された。

小さく生んで大きく育ててもらいたいものである。

日本人拉致問題解決にも諦めずにコツコツと取り組む事自体が結果として諜報機関を育てる。

あるいは歴史テロ情報収集局も作って近隣諸国や国内反日の悪意に立ち向かうべきである。

http://www.sankei.com/politics/news/160902/plt1609020052-n1.html

(道楽Q)

ーー宮崎正弘氏の意見

ジェイムズ・スタヴリディス退役海軍提督が、今週のTIME(2017年1月16日号)に、小論を寄稿しています。

「イスラエルの諜報機関は世界一優秀であり、三つの情報機関が整合性をもって活動している。アメリカのCIA、FBI、DIAの諜報機関は、バラバラだ。NSAが総合機関としてあるが、戦略上の整合性がない。アメリカは諜報活動においてイスラエルを参考にし、軍事面でも協調体制を築くべきだ」と。

電脳安全保障(サイバーセキュリティ)の研究開発にイスラエルはGDPの10%を投資しており、イスラエル製のソフトウエアは警備、安全保障システムなどに使われています。

イスラエルは、そのセキュリティ機材、システム、ソフトの販売で2014年に600億ドルを売り上げている。

オバマはイスラエルに冷淡で、ネタニヤフ首相とは犬猿の仲。反対にトランプはネタニヤフとはすでに二回会談しており、「馬が合う」と発言し、かつ「テルアビブの米国大使館をエルサレムに移設する」と公約してきました。

さて、どうなるか。

2017年1月18日 (水)

このような、いわば幼稚な国家とどのように付き合っていくべきなのだろうか

ーー以下「株式日記toraさんの意見」より抜粋編集qazx

Robert.e.Kelly、釜山大学・政治学・准教授が2015年「Why South Korea is so obsessed with Japan(南朝鮮はなぜこれほど日本にとりつかれているのか)」という記事を書いた。

Kelly氏は朝鮮人の反日をAnti-Japanismと呼んで、それがなぜ生じているのかを客観的に論じている。

ーー

It is immediately obvious to anyone who has spent substantial time in South Korea that its people and its elites have an extraordinary, and negative, fixation with Japan.

朝鮮民衆やその支配層は日本に並々ならぬ否定的な執着心を持っている。この事実は、ある程度南朝鮮で時間を過ごしたことのある人にはすぐに分かることである。

ーー

Korea’s media talks about Japan incessantly, usually with little journalistic objectivity and in negative terms: as a competitor for export markets which must be overcome, as a rival for American attention, as an unrepentant colonialist, as a recipient of the ‘Korean Wave’ (watch Korean analysts triumphantly argue that Japanese housewives are learning Korean), as a lurking military imperialist just waiting to subdue Asia again, and so on. 

朝鮮メディアは、日本をひっきりなしに話題にする。
しかしその報道には客観性は無く、否定的な言辞が使われる。

例えば、
輸出市場での打ち負かすべき競争相手として
アメリカの注目を巡る競争相手として
全く反省の色を示さない植民地主義者として
再びアジアを征服する時を待ち構えている軍事帝国主義者として、
「朝鮮熱Korean Wave」に熱狂する消費者として
(朝鮮の評者らが勝ち誇ったように日本人主婦が朝鮮語を学んでいると論ずるのを見よ!)

などだ。

ーー

またKelly氏は、朝鮮人が
リアンクール岩礁Liancourt Rocks竹島に異常に執着していること
独立記念日に子供達が日本軍人形に水鉄砲を撃ったりすること
などにも触れ、これらはきちんと説明されなければならないと言う。

Kelly氏の「説明」は、以下だ。

ーー

South Korea’s nationalism is negative, defined very much against Japan and, importantly, not against North Korea. The reason, I hypothesize, is that North Korea so successfully manipulates Korean nationalist discourse that South Korea cannot define itself against North Korea

南朝鮮の愛国心の程度は、どれだけ反北かではなく、どれだけ反日かで決まる。この理由として私が考えているのは、北が、反北では自己規定出来ないように南の言論を操作し、それに成功しているからだ。

ーー

北が、「主体思想」に基づいて「朝鮮民族」の優越性を基礎とする政治思想によって成り立っていることは日本でもよく知られている。

Kelly氏は、これが南に影響し、南は反北出来なくなっているのだと言う。

ーー

This would not matter if South Korea’s political identity were democratic and post-racial, but it isn’t. The minjok myth is in fact deeply resonant. South Korean education teaches it (the resultant racism is a huge problem); government media campaigns and commercials stress it; my students write about it in glowing terms; until a few years ago the national pledge of allegiance was to the minjok, not to the democratic state.

もし南朝鮮の政治体制が、民衆政治かつ人種差別のないものであれば、北の影響は問題にならなかっただろう。しかしそうではなかった。南では学校で「民族minjok」(優越の)神話を教えており、政府系メディアが広報し、民間広告もそれを強調している。「民族minjok」(優越の)神話が実に深く行きわたっているのだ。(その結果人種差別が大きな問題となっている)私の学生達も「民族minjok」について熱い言葉を使って書く。最近まで忠誠誓約は国家に対してではなく「民族minjok」に対してなされていたのだ。

ーー

Kelly氏の「朝鮮人らの反日」の理由についての仮説は、反日が「民族minjok」の自己規定(確認)に使われているというものだ。

親日では朝鮮「民族minjok」ではなくなってしまうと言うのである。

これからすると、朝鮮人らは、国家というものがまだ分かっていないということが分る。

ネット情報によると、朝鮮半島にある国家は歴史上一度も自力では独立国となったことが無い。

朝鮮人が大量に入り込んでいる日本メディアは、朝鮮人が「自力では一度も独立国を持ったことが無い」という情報を隠し、日本国民に伝えなかった。

ーー

それゆえ、日本の知識人でさえ、朝鮮人の反日に対してKelly氏ほどの理解もないように思う。

たとえば、「哀れなことに南朝鮮人は北朝鮮人に比べて「民族」としての純粋性において劣っているという自覚を持っており、従って「民族」としての責任を果たすためには日本を叩き続けるしかない」と。

ここには、朝鮮人には国家というものが分かっていない、という認識は見られないのである。

朝鮮人には、国家というもの(公の精神)がないので、「愛国心」が分らないということが分れば理解が進む。

それで国家の代わりに「民族」を持ち出してきたものの、例えば「民族の英雄が一人もいない」のである。

つまり朝鮮人らは、「反日」以外に、朝鮮人であるという自己規定(確認)が出来なくなっていることがわかる。

ーー

しかも朝鮮には、民族を鼓舞するような栄光の歴史が無い。

日本は支那やロシアそれにアメリカと正面から戦争をした歴史がある。

しかし朝鮮にはそのような歴史が無く、1885年までは、支那の属国であった。

その様な状態で民族を鼓舞するためには、他民族を非難して朝鮮人の方が優れているという他ない。

しかし優れたところが一つもない。

それで自分たちが日本軍の一員であったことを隠し、「日本軍の被害者」の立場を捏造し、日本を非難することで優位に立とうとした。

と言うのも日本では被害者というだけで特権が得られる稀有な国だからだ。

しかし普通、他民族を非難すれば仕返しされる。

ーー

ところが朝鮮にとっては有り難いことに、日本は、敗戦で占領軍に、その戦争責任を一身に背負わされていた。

そして、「国軍不保持、交戦権放棄」の憲法を強制されているので、絶対に反撃してこない。

しかも、敗戦時に連合国軍の占領政策に協力することで、敗戦利得者となった勢力がその社会を支配している。

その勢力は、「国軍不保持、交戦権放棄」の戦後体制を守らなければ、敗戦利得者としての利権を失う。

それゆえ彼らは、慰安婦や性奴隷そして南京大虐殺を捏造し、日本人に自虐史観と、護憲を強制している。

つまり、日本を叩いても反撃してこない。

ーー

だから朝鮮人指導者らは、絶対に反撃してこない日本を叩く事で、民族を鼓舞してきたのだった。

ーー

しかし今回の日韓合意は、アメリカが仲裁に入って成立している。

それで日本は、合意が守られていないとして、アメリカの了解を得て制裁を加えた。

すると、南朝鮮は、国家としての機能が麻痺する事態となった。

ーー

これらの状況は、朝鮮がこれまで一度も自力で独立国となったことが無いということに起因している。

朝鮮人には、いまだに国家というもの(公の精神)が理解出来ないのだ。

そう考えない限りうまく説明できない。

つまり朝鮮人らは、国家存立のためには、国家間条約は、どんなことがあっても果たさなければならないということさえ理解できていないのだ。

このことからも、朝鮮人には独立国の経営は無理だということが分る。

ーー

さてそれでは、このような、いわば幼稚な国家とどのように付き合っていくべきなのだろうか。

結論から言えば、共産支那が採用している、属国扱いが一番であろう。

つまり、国家として扱うことは出来ないと割り切ることだ。

そして、朝鮮人がなす個別の事項に対して、日本人に不利益をもたらした場合には、被った損害の数倍の罰を課すと言うものだ。

ーー

朝鮮人は、国家というものを持ったことがなく、したがって愛国心というものが理解出来ない。

このことが分れば、朝鮮人が、なぜ反日するのかが分かる。

それは日本が国家であるからなのである。

朝鮮人らの反日は、朝鮮人が唯一国家を意識出来る、道具なのだ。

それにしても情けない人たちである。

しかし朝鮮人の反日は、皮肉にも日本人の間に、愛国者を続々と誕生させてしまった。

その結果、今、日本国内では、日本人に自虐史観と護憲を強制してきた在日や反日勢力が、窮地に陥り出している。

2017年1月17日 (火)

1996年、日本でビッグバンが実施されるや、銀行や国際会計士がヤクザに海外での資金洗浄の方法を教唆した

ーー「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集qazx

猫組長vs渡邊哲也『山口組分裂と国際金融』(徳間書店)

「猫」は仮名、元山口組系組長、で、ドバイやメキシコやロンドンを飛び回り金融事業をしてきた人物である。

渡邊哲也氏は、ネットでお馴染み、世界中で国際金融事業に携わっていた人物である。

それにしても、山口組と国際金融といったい何の関係があるのだろう?と思う。

ーー

ヤクザは縄張り内に他のヤクザが入りこめば殺し合いも辞さずに縄張りを死守した。

そのしのぎ(生活費)は、麻薬・武器・売春、チンピラは『みかじめ料』と決まっていた。

ーー

ところが、暴力団対策法成立後からヤクザの生活環境は激変する。

みかじめの集金は「恐喝」という犯罪となった。

そこで花、設備備品、あるいはトイレ用品など縄張りの飲食店が日常必要とするものを売る様になった。

従業員の多い工場地帯などでは自動販売機の利権を手に入れるという具合になった。

ーー

そこへグローバル化だ。

第一は外国ヤクザの侵入である。

新宿歌舞伎町には支那・台湾・蒙古のヤクザが、入り乱れて戦場と化した。

朝鮮人も従っていた日本の『任侠道』がまったく通じなくなったのだ。

ーー

第二に金融事業がヤクザ世界を一変した。

山口組は豊富な資金を使ってそれを増やすことを考えた。

最初に手を出したのは株式の仕手戦だった。

もちろんヤクザらしく違法インサイダー取引の手口を使った。

小型株をつり上げては、高値で売り逃げ利益を手にした。

仕手筋に資金を提供して分け前を稼いだのだ。

ーー

やり方が分かり出すと、そのうちに国際投機に参画する。

『規制の緩いフィリピンなどにサーバーを置いて、ネット博打』を始めた。

ネット博打はいまや世界中で行われている。

海外に口座を開設すれば、国家の「法空間」をまたげるのだ、と猫は言う。

ラスベガスやマカオに行かなくても賭博ができる。

現場で目撃されることもなくなる。

これがヤクザが世界に進出する初期の形態だったわけだ。

ーー

ついで目を付けたのが新規株式公開IPOだった。

上場前に株式を仕入れ、高値を演出して売り抜け、巨額の利益を手に入れる。

渡邊氏は、「これによって金が金を生む資本循環にシノギの構造が替わっていった」と指摘する。

そして金融ビッグバンが起きた。

ーー

金融ビッグバンは、金融市場の規制を緩和・撤廃して、金融市場の活性化や証券業界の国際化をはかろうというものです。

◆外為法の改正

外為法を改正して、一般企業でも外貨を自由に取引できるように、外国為替業務の自由化をはかりました。個人でも、外貨預金が自由に持てるようになりました。

◆銀行と証券、生保と損保の業務の相互参入

銀行業務と証券業務の垣根を取り払う規制緩和が進められています。持ち株会社を通して、銀行は証券業務に、証券会社は銀行業務に参入できるようになりはじめています。

一方、保険業界でも、生命保険と損害保険の業務相互乗り入れが始まっています。

◆間接金融から直接金融へ

企業の資金調達方法が、銀行借入れから、株式や社債の発行による方法に変わりつつあります。個人の貯蓄方法も、預金から、投資信託や株式などの商品に移り始めています。こうした証券の形でお金が流れることを証券化(セキュリタイゼーション)と呼んでいます。

これは、日本の金融システムが、間接金融から直接金融へ移行し始めていることを示しています。

≪3つの原則≫

金融自由化には、3つのキーワードがあります。フリー(自由)、フェア(公正)、グローバル(国際化)です。

ーー引用ここまで

1996年、日本でビッグバンが起こると、銀行や国際会計士がヤクザに海外での資金洗浄の方法を教唆した。

こうして、日本のヤクザが、ニューヨーク、ロンドン、香港、シンガポール、ドバイに進出することとなった。

遅れること二十年、米国は法規制を厳格化しはじめ、スイスの銀行に秘密口座の開示を要求し、また恐怖暴力集団(テロリスト)への資金移動を監視できるように合法化した。

世界の口座への資金移動は米国によって把握され、またそれらはパナマ文書のような形で公表される。

いくつかの法律で日本のヤクザも摘発されるようになり、国際金融への関与は、さらに巧妙に、そして洗練されていった。

ーー

「結局、ヤクザが証券化業務を覚えて」、エクィティファイナンスという新世界に進出した。

ーー

エクイティファイナンスとは、新株発行、CB(転換社債型新株予約権付社債)など新株予約権付社債の発行のように、エクイティ(株主資本)の増加をもたらす資金調達のこと。

ーー

すなわち(猫)「増資や転換社債発行による資金調達」が、ペーパーでなされていることに直目し、租税回避地で債権を発行するという手口に飛びついた。

つぎに日本で海外の有価証券を買う。

LC、BLといった「有価証券を日本で買って海外に持っていって換金する」という手口がヤクザによって多用される。

ーー

評者(宮崎)は貿易会社を経営していたことがあるので、このLCとかBLとか、貿易の専門用語も、仕組みも知っている。

が、かなりの専門領域であり、その有価証券が国際的な市場に流れていたことは知らなかった。

ーー

ついで彼らが目を付けたのはドバイだった。

禁酒法で大儲けした米黒組織は、国際的に連合し、ドバイに拠点を置いて株式、社債、商品とりわけ石油先物の大規模な投機に明け暮れている。

驚くほどの洗練された手口で相場に手を出しているのだが、山口組もそれに加わっていたのだった。

ーー

原油取引にまつわる先物相場への投機から、多種多彩な手口を覚えての参入で、「一時期のドバイはヤクザだらけだった」そうな。

支金洗浄だが
ロシア黒組織はキプロスを拠点とした。
支那黒組織は香港を拠点とした。
国際黒組織はドバイを拠点とした。

ドバイ最大の市場「龍商店街(ドラゴンマート)」は支那人が経営者だ。

ーー

日本ヤクザは、ドバイで、先物、現物、利ざやなど高速取引のコツを覚え、カネを稼いでいたのだ。

そして、競争が激しくなると、為替FXへの投機を搦めた重層的で専門的な投機にも手を染め始めたのだった。

驚きの世界があったものだ。

ーー

ーー以下「株式日記toraさんの意見」より抜粋編集qazx

アメリカの投資基金は日本ではハゲタカファンドと呼ばれた。

というのも、不良債権といういわば死肉が彼らの好物だからだ。

日本は、1989年株価が頂値に達すると、1991年から、日銀によって貸し出し規制(総量規制)がなされ、バブルがつぶされた。

大量の不良債権が出て、日本はデフレに突入したのだった。

ーー

米投資基金がバブル期の価格と比べると只のような価格でそれら不良債権を買いまくった。

しかし、日本経済はその後20年以上もデフレのまま維持された。

つまり、米投資基金は儲けそこなった。

ーー

米人は、なぜ投資に失敗したのか研究した。

そして、大蔵省が日銀と結託して、バブル破壊を演出し、土地価格を暴落状態つまりデフレのままに維持したからだと結論した。

いわば、米国と違う仕組みがこのような失敗を招いたと結論した。

それで大蔵省の廃止、財務省と金融庁の設置を提案したのだった。

ーー

米投資基金が低信用(サブプライム)層に土地家屋を担保に投資(ローン)し、その債権を高利回りの証券にして売り抜けた。

その後、地価暴落と共に、証券は紙切れになり、それを買っていた欧州や日本の投資基金が被害を受けた。

被害は連鎖し、2008年には、米大手投資会社はすべて破綻、米国には不良資産の山が築かれた。

米政府は直接お金を刷ることが憲法で禁止されているので、連銀から膨大な資金を借り、それら不良資産を買った。

ーー

米政府は、このようにして世界恐慌を回避しようとしたのだ。

それは、1930年代の世界恐慌の研究者であるベン・バーナンキを連銀議長に任命したことからも分かる。

ーー以下wikipediaより「ベン・バーナンキ」抜粋

FRBによる通貨の供給不足が1930年代の世界恐慌の原因だとするミルトン・フリードマン教授の学説の信奉者で、2002年のフリードマンの90歳の誕生パーティーにおいて「FRBは二度と同じ過ちは繰り返しません」と誓い、さらにフリードマンの寓話に倣い「デフレ克服のためにはヘリコプターからお札をばらまけばよい」と発言。「ヘリコプター・ベン」「ヘリコプター印刷機」の異名をもつ。

2009年3月から1年間、住宅ローン担保証券などを1.75兆ドル買い入れる量的緩和第1弾(QE1)を、2010年11月から2011年6月には米国債を6000億ドル買い上げる量的緩和第2弾(QE2)を、2012年9月からは期限や総枠を設けない無制限な量的緩和第3弾(QE3、「無制限緩和」)を実施した。

ーー抜粋おわり

投資会社が儲かっていた時には、租税回避地の存在が投資を活発にし、税収も増えた。

しかし投資の減少と共に、逆に税収が減るようになった。

その過程で分かったことは、金持ちが税金を払っていないことだった。

彼らは、租税回避地に資産を移し、資産を生んだ国家に税金を払っていなかったのだ。

これでは、国家運営は不可能となる。

ーー

調査する過程で、世界の黒組織に交じって、日本の黒組織が租税回避地に資産を移して資産運用していることも分かった。

先進各国は、租税回避地の存在に、規制を掛けるようになった。

パナマ文書の公表はその一つである。

山口組の国際派が租税回避地に資産を移して資産運用していた、それを、米政府(日本政府?)が咎めた。

その対策として、山口組は、国内派が生き残るために国際派を追放しようとしているということになる。

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