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2016年12月の31件の記事

2016年12月31日 (土)

今や人種・国籍・伝統・文化は知恵や芸術の宝庫だとして見直されるようになった

ことしはサヨクの没落が顕著に現れた年だった。

サヨクや左翼は、ネットでは、バカサヨと軽蔑されているが、パヨクと呼ぶ人も居る。

パヨクは壊れた翼「破翼」、または「端翼」(異端)を意味するのだという。

ーー

自由主義者の自由というのは、特定の人種・国籍・伝統・文化からの自由を意味する。

一方パヨクらは、自らをリベラル(自由主義者)と称して、日本国民の枠を超えた自由を主張する。

そして日本パヨクは、「日本死ね」と言って、日本や日本国籍や日本の伝統・文化を貶めることに快楽を感じているように見える。

(自由主義を主導しているユダヤ人たちはヘブライ語とユダヤ教を捨てようとはしないし、「ユダヤ死ね」とも言わない)

ーー

一方で人種・国籍・伝統・文化は知恵や芸術の宝庫だとして見直されるようになった。

例えばカーストで不可触選民として生まれたアンベードカル氏は米国文化に触れなければ法学博士になることはできなかった。

そんな差別が文化に成っているインドでも、そこには多くの知恵と芸術が存在している。

ーー

自由主義者らは文化破壊をしてきたのだが、新たな文化を生み出してはいない。

自由主義が、伝統からの自由を訴えたころは新鮮で魅力的だったのだが、それが何も生み出さず混乱をもたらすだけと分かれば失望され支持を失う。

そしてパヨクは、「時代遅れ」であり、「世界を読み切れない者」と見なされるようになった。

千葉麗子氏が、「産経ニュース」にそんな小論を書いているので編集してお目に掛ける。

ーー以下「産経ニュース、千葉麗子コラム」より抜粋編集qazx

私(千葉)は今年、『さよならパヨク』『くたばれパヨク』(ともに青林堂)という著書を出版する機会に恵まれました。

パヨクは、意見の合わない私に対し、
(1)「差別だ」「レイシストだ」「ネトウヨだ」とレッテルを貼る
(2)私の個人情報をインターネット上にさらす
(3)私の勤務先に執拗(しつよう)に苦情を言ってきた
(4)私が沈黙するまで罵倒したり、暴力で威嚇した
などの攻撃を仕掛けてきました。

ーー

今フランスはイスラム教徒移民によるテロで戒厳令状態に置かれ、ドイツは移民の暴動で、移民推進派のメルケル氏が支持率を下げている。

そして英国がEU(欧州連合)から離脱することはないと言われていたのに英国民は離脱する方を選択した。

米大統領選ではリベラルのヒラリー・クリントン氏が圧勝すると言われていたのに、米国民は、ドナルド・トランプ氏を大統領に選んだのでした。

ーー

時代が変わろうとしていることが分ります。

ーー

こんな時にも、日本のパヨクらは、昔のままに、リベラルを自称して、日本や日本国籍や日本の伝統・文化を貶(おとし)めるようなことをしている。

最近では、パヨクが沖縄に集まり、「他国が攻めてきても戦うな」「降伏すれば平和」運動をしている。

それは、尖閣諸島を侵略する敵国に有利な状況を作ろうとしているように見える。

ところがこうした動きを新聞やテレビは報道しない。

ーー

ネット環境から得られる情報からすると、どうやらパヨクにとっての敵国は日本なのかもしれないのです。

「日本死ね」と言っているパヨクは、世界や日本の住人の考えが変わりつつあるという事実を読み切れていないのだと思います。

彼らには、情報弱者、「時代遅れ」「周回遅れ」という言葉がお似合いです(笑)。

ーー

ーー以下ニュースより抜粋引用

読売新聞社は28~29日、安倍首相が米ハワイの真珠湾を訪問したことを受け、全国世論調査を実施した。75年前の旧日本軍による真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊した首相の訪問を「評価する」は85%に上り、「評価しない」は10%だった。

988 : 日出づる処の名無し2016/12/30(金) 10:15:24.41 ID:vdytBQiy

石平太郎 ?@liyonyon 3時間3時間前
首相の真珠湾慰霊にたいし、「85%が評価」との世論調査が出た。一部の野党やマスコミは「謝罪無き和解はダメだ」と批判していたが、この「謝罪無き和解」こそは大多数の国民の支持を得た。戦後70数年も経った今、中韓や日本の左翼が唱える「謝罪」という呪文に、日本国民はもううんざりなのだ。

*何十年も続けて「謝罪」という呪文を繰り返しているだけの朝日新聞はじめ左翼メディアの劣化が激しい。内容皆無でほとんど読むに耐えない、多くの国民からも見放されつつ有る。

ーー29日稲田朋美防衛相靖国神社参拝

「いかなる歴史観に立とうとも、いかなる敵、味方であろうとも、祖国のために命をささげた方々に対して感謝と敬意と追悼の意を表するのは、どの国でも理解をしていただけるものだと考えております」(稲田朋美防衛相)

「きのう、日米のトップがまさに不戦の誓いをした直後の話なので、違ったメッセージとしてアメリカに届かないのか、そこは少し心配しています」(民進党 蓮舫代表)

ーー以下「余命ブログ」より抜粋編集qazx

ーー読者「余命のおかげ」

安倍総理れがハワイから帰国して、早速防衛大臣は靖国参拝してますが、これに対する支那や韓国の反応が面白くて笑えます(*‘∀‘)

安倍総理はノーコメントで、ゴルフして寝たふり(笑)

最近は、目に見えて色々と動きがあるので、外患罪や通報等、効いてるなぁ、とつくづく感じております。

ーー余命

死んだふりは得意だが、最近は寝たふりもいいね。

2016年12月30日 (金)

パレスチナには、「イスラエル人」などおらず、「フェニキア人」が居ただけではないのか

ーー以下「腹筋崩壊ニュース」より抜粋編集qazx

世界中で読まれている、旧約聖書の舞台は、パレスチナだとされています。

イスラエル(ユダヤ)人らは、自分たちの歴史を示す資料として、旧約聖書を用いてきました。

考古学者らは、イスラエル人らの歴史を裏付けるため、パレスチナを熱心に発掘し続けた。

しかしパレスチナでは、彼らの歴史を裏付けるものは、何も見つかっていないのです。

ーー

それではなぜ旧約聖書の舞台はパレスチナだと考えられているのでしょうか。

それには大きく2つの理由があります。

ーー1、遺跡がある

誰のものかは分からないけど、一応遺跡があることはある。

特に、メギド、ハツォル、ベエル・シェバという3つは、「聖書ゆかりの遺跡群」などとして世界遺産に登録されている。

しかし実際には、この中のどれ一つとして、旧約聖書との関連性は証明されていないのです。

ーー

にも関わらず「聖書ゆかりの遺丘群」と認定されているのは、
・旧約聖書に登場する地名と似てる
・旧約聖書時代の遺跡
という理由からなのであります。

「嘆きの壁」に代表されるヘロデ神殿の遺跡は、明らかにイスラエル人が残したと言える遺跡です。

しかし、この神殿はB.C.20年に建てられたものであり、旧約聖書の時代(B.C.2100~B.C.600)のものではないのです。

ーー2、古ヘブライ文字が記された土器の存在

もう一つの根拠がパレスチナ各所の遺跡から古ヘブライ文字が書かれた土器が発見されているという事実。

その全ては解読されていないのですが、旧約聖書の内容と同じ記述は見つかっていません。

しかしこれらの土器は、確かに旧約時代の遺跡から出土している。

かくして、パレスチナにイスラエル人が住んでいたと証明されたのであります。

ーー

ところが、この「古ヘブライ文字」について、重大な疑惑が出てきたのであります。

ーー

古ヘブライ文字というのは、古代のイスラエル人が使用していた文字の事であります。

そして旧約聖書の大半がこの文字で書かれたとされているのです。

古ヘブライ文字は、エジプトのヒエログリフ(神聖文字)に由来していると言われています。

ヒエログリフが中東に伝わり、パレスチナで原カナン文字が成立。

これが、フェニキア文字となる。

フェニキア文字は、フェニキア人が使用していた文字で、22の子音を表している。

母音が無いので、母音の付け方は口伝です。

このフェニキア文字が、やがて古ヘブライ文字になったとされているのです。

ーー

古ヘブライ文字はイスラエルの衰退とともに使用者が激減し、B.C.500くらいにはもう誰も読めなくなっていた。

つまり古ヘブライ語をしゃべる人がいなくなっていたのです。

ーー

B.C.1500〜800の地中海世界には、フェニキア人という民族がいました。

ギリシャの大歴史家ヘロドトス『歴史』によると、

「これらの者(フェニキア人)は、かつては紅海沿岸部に住んでいたが、やがて地中海へとやって来て定住し、…」

紅海沿岸部からパレスチナに移住し、イスラエルのちょっと北に本拠地を置いた後、地中海貿易で繁栄を極めました。

ーー

しかしそんなフェニキア人も、B.C.800頃からアッシリア等の大国に攻められ、その勢力は一気に縮小し、やがては滅亡してしまいます。

ただ、彼らが商売を通して地中海の各地にフェニキア文字を伝えた。

そのフェニキア文字は、ギリシャ文字やアラビア文字へと姿を変えて今も残っているのであります。

ーー

イスラエル人が使ったとされている古ヘブライ文字は、そんなフェニキア文字から枝分かれした文字であると言われているのです。

ところがフェニキア文字と古ヘブライ文字を見比べてみると、区別がつかない

全く同じ文字に見えるのです。

ーー

イスラエル周辺で発見されたら「古ヘブライ文字」、それ以外なら「フェニキア文字」と、勝手に区別しているだけではないのか。

そうなると、「古ヘブライ語」など無かったのではないか、という疑惑が生じます。

つまりパレスチナには、「イスラエル人」などおらず、「フェニキア人」が居ただけではないのかと。

2016年12月29日 (木)

人間は、互いに学び合い、切磋琢磨して文化を育て、より快適な環境を作って集団で生き延びようとする

ーー以下「余命ブログ」より抜粋編集qazx

ーー読者「小幡 勘兵衛」

朝鮮人らは、同胞を日本国内に増やしたがる。

がそれは日本を朝鮮半島にすることであり、彼ら自身の破滅を意味する。

と言うのも併合前の朝鮮半島は地獄であり、日本人が住まなくなって以来今や、半島は地獄に戻ろうとしているからだ。

ーー

日本人なら、文化を維持発展させることができる。

ところが、支那・朝鮮人は、文化を維持発展させることができない。

知識や技術を他人に教えないからだ。

つまり、彼らの同胞が増えるほど、彼ら自身を破壊しかねないのだ。

ーー

動物や昆虫は適者生存の原理で進化する。

人間は、互いに学び合い、切磋琢磨して文化を育て、より快適な環境を作って集団で生き延びようとする。

だが連中は学習も切磋琢磨も共存も苦手だ。

だからいつまで経っても文化というものが身に着かない。

ーー

日本を侵略して日本人を奴隷にする?

そんな状態は日本を半島にすること、つまり彼らにとっての日本が地獄になってしまう。

支那・朝鮮人に対しては、迷惑を被ったとして入国拒否でのぞむべきだろう。

ーー読者「とろりん」

私は、20年前から、「在注意」だけでなく、「困っている時に信頼してはだめ在」も繰り返しております。

支那・朝鮮人らは、「与えた恩は大声で叫び、受けた恩は忘れろ」、「恩も仇も仇で返す」のです。

民主党が政権を取り、韓流が流行っていた時には、彼らは、日の丸を指さして嘲笑していた。

その後は逆風を感じているのか、昨今、なりすましに成功した中流層でも結託が始まっているように感じます。

彼らは結託するほどに破壊されると言うのにです。

ーー余命

まあ、無理をしないことですよ。

パソコンのキーを1日1回、告発状にサインと押印で世の中の大掃除ができるところまで来ているんだからね。

ーー読者「主婦です」

「朝鮮学校と北朝鮮がそんなに関係が濃厚なの、俺たち知らなかった」

これ笑ってしまいます、「知らなかった」で逃げ切るのはどんどん難しくなっていますね。

<NHK>で<公安>が<中国の分断工作>と報ずる時代が来るとは、メディアは、保身に必死になっているように見えます。

どこまでパヨクを捨てる事が出来るのか、ゲラゲラ笑いながら見ることにします。

中途半端な覚悟であの手の人権団体に所属している方は、逃げられる最後の機会ですね。

ーー余命

なにかもう在日も反日勢力も発狂しているな。

まあ、締め付けられているのは確かで、仏像や石像を壊しまくったり火をつけ回ったりと、やけくそという感じになってきた。

が、表の攻勢とは裏腹に実情は大変なようだな。

ご愁傷様。

2016年12月28日 (水)

後進国のママの支那が指導する世界は闇だ

ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集qazx

八幡和郎『世界と日本がわかる 最強の世界史』(扶桑社新書)

歴史が物語であるとすれば、本書にも強烈な「八幡史観(解釈)」があるようで、じつは稀薄である。

つまり巷間伝えられている物語と変わらない。

むしろ本書が重視するのは「流れ」である。

この歴史の流れは、古代人類の発生から現代史まで、しかも東洋から西洋まで。

欧州では、ローマ皇帝もナポレオンも語られ、支那も秦の始皇帝以前から習近平まで語られる。

これらをわずか300ページ強の新書に混在させるのだから、見方を変えて言えば神業に近い。

ーー

随所に逸話が挿入されていて、意外な知識も得られる。

ーー

評者(宮崎)は部屋に飾っている肖像がドナルド・トランプがレーガンとジョンウェインであること、プーチンのそれがピョートル大帝であることは知っていた。

しかし、メルケル独首相が部屋にエカテリーナ二世の肖像を飾っていることは知らなかった。

エカテリーナ二世はドイツ(プロイセン)からロシア皇帝ピョートル三世に嫁ぎ、ロシアをドイツ文化に染め上げた。

女帝は当時の上流階級の言葉とされたフランス語を使った。

サンクトペテルブルグにあるエカテリーナの夏の宮殿の本棚はみごとにフランス語ばかりである。

エカテリーナ二世は、領土拡大に野心を燃やし、ウクライナからポーランドまでもロシア領土に編入。

ウクライナ南部、黒海に面した港湾都市・オデッサは、エカテリーナ二世が建設を命じた。

なるほどメルケル首相が尊敬してやまない理由が飲み込めた。

ーー

さて、八幡氏は歴史(物語の続き)として「後進国のママの支那が指導する世界は闇だ」と予測している。

後進国というのは、公平性、客観性が欠如しているため反省できない国の事である。

「支那では日本と違い、権力があるうちに最大限に利益を享受しないと損だと考える伝統がある」

「その不当利益の金額が国家や国民経済を傾けるほどになっても平気」

これまでの支那の政権は、国家の繁栄ではなく、その権力維持を目指した。

それゆえ、「権力維持のために、反対派の長老の家族に利権を与えてきた」。

「習近平はこの状況の悲劇的な結末を意識したのか、綱紀粛正に乗り出した」

そして「国民の支持をつなぎ止めるために、超大国としての栄光とか、領土拡張に走り出し」た。

ーー

しかし支那の歴代政権(皇帝)は、海洋国家(シーパワー)に挑戦しては、権力の座を失ってきたのだった。

支那軍の南シナ海への進出は、海洋国家・アメリカへの挑戦だ。

この流れからすると、共産支那の余命はわずかだ、ということが読めてくる。

2016年12月27日 (火)

国家というものは非情なものです

ーー以下「宮崎正弘ブログ、読者の声」より抜粋編集qazx

世界大戦Ⅱ中、ユダヤ人らが、リトアニアから日本に向かい上海(米国)へと向かった。

リトアニアから日本に行くためには、当時のソ連領を通過する必要があった。

産経新聞が、12月22日付けで掲載した、「「命のビザ」にソ連の影 杉原千畝の活動を経済利益・軍事情報狙い“容認”か 露の歴史研究で判明 」によると、

「ソ連領を通過するユダヤ人から経済的利益や軍事情報を得ようというソ連側の狙いがあったことが、ロシアの歴史研究家らの共同研究で分かった」

つまりこれが、「ソ連がなぜ大量のユダヤ人難民の通過を容認したか」という疑問の答えであったということです。

ーー

しかし、これは問題の全貌をとらえていません。

当時パレスチナにユダヤ人の国家を建設しようとしたイスラエル暫定政府がありました。

そのイスラエル暫定政府から日本政府にリトアニアに居たユダヤ人の救済を機密作戦(confidential operation)として実行してほしいと要請してきていた。

恐らく日露戦争以来のユダヤ人脈を利用しての要請であったものと推測できます。

ーー

この要請を五相(首相、外務大臣、大蔵大臣、陸軍大臣、海軍大臣)会議で協議し、東条英機陸軍大臣が人道上受け入れるべきだと強く主張し実行の運びとなった。

杉原千畝氏は有名になりましたが、当時ソ連駐在の日本人外交官にも以下の極秘の指令が下されました。

「ユダヤ人らがリトアニアから列車でソ連領を通って沿海州沿岸まで移動する際に無害通行を保証するようにソ連政府と交渉し、シベリア鉄道の沿線での彼らの安全を監視せよ」

彼らソビエト駐在の外交官たちはそれを守秘した、つまり指令が極秘にされていることを守りました。

杉原千畝氏にも外務省上層部から直接指令が下り、機密作戦であったため当人が独自の判断で行ったことのように誤伝された。

ーー

終戦後の占領期間中、外務省が廃止されました。

彼らソビエト駐在の外交官たちの多くが失職し、NHKの外信部でソ連のラジオを聴いて記者らにソ連情報を提供していたのです。

どんなに良い情報を発掘しても、記者の手柄になった。

そんな中で守秘義務を果し、杉原千畝氏が世界中で称賛される中、沈黙を守りました。

ーー

杉原千畝氏は、悪く行っても命の危険がない(ソ連のスパイか名前が知られていたため)状況でした。

ところが彼以外の外交官らはソ連官憲に日本の工作員(スパイ)として殺される危険があった。

そんな中彼らは、シベリア鉄道でのユダヤ人らの安全通行確保のため命を懸けて働きました。

国家というものは非情なものです。

機密作戦であったため、以後国家は一切関与していない。

ーー

イスラエル政府は、「日本政府は、政府の方針に反してビザを発給した杉原千畝氏を解雇した」などという嘘を宣伝しています。

恐らくこの機密作戦を隠すためでありましょう。

所詮国家とはこういうものです。

国家が国家目的のためには一部の国民(民衆)にとっては怪獣(リバイアサン)になる。

このことを国民が知ることこそが民衆政治(democrasy)が機能するための条件なのです。(ST生、千葉)

ーー抜粋ここまで

この意見に対し以下の様な情報が寄せられている。

ーー以下「宮崎正弘ブログ、読者の声」より抜粋編集qazx

以下関連図書から拾ったものです。
ご参考まで。

要点は、
(1)杉原はビザを乱発していない。
(2)殉教者ではなく昇進している。
(3)ユダヤ人を助けた他の日本軍人は隠蔽されている。
(4)杉原には知られざる過去がある。

1.史実:ユダヤ人の上海移住は2回あり、杉原は1940年の2回目です。なお満洲には1917のソ連革命を逃れ五千人のユダヤ人が住んでいた。

2.1回目:ナチスの迫害でユダヤ系ドイツ人が、ベルリン、ウィーンなどの日本領事館からビザをもらい、シベリヤ鉄道で東に向かった。しかし1938.3.8満ソ国境のオトポル駅でソ連が強制下車させたので、満州国に嘆願し、通過許可をもらい南下。日本経由で上海へ。この時樋口少将、安江大佐、が通過許可を申請、東條英機参謀長が許可。上海では海軍の犬塚大佐が指揮する犬塚機関がユダヤ系独人を保護。教会、学校などを建設。独の総領事はユダヤ人放任、関係せず。1939.9ユダヤ人側の費用限界で受け入れが止まった。この時上海のユダヤ人人口1.9万人。

3.日本政府の方針と理由:日本政府はユダヤ人の保護を決定。理由は米国政府内ユダヤ系高官に影響を与え、敵対政策を緩和することだった。ルーズベルト政権のモーゲンソー財務長官、労働長官は100%ユダヤ人。ハル長官の母親妻はユダヤ人。その他幹部250名以上がユダヤ系。しかし彼等は米国内の反ユダヤ感情を恐れ保身のためにユダヤ人を保護しなかった。このため1939年のセントルイス号事件の悲劇が起きた。独脱出ユダヤ人の上陸をルーズベルトが拒否したので、欧州に送り返されナチスに殺されたのである。

4.1939.9独ソによるポーランド分割で、ポーランドからリトアニアに追放されたユダヤ教神学生が脱出。上海のユダヤ人協会は、1940.7.26犬塚大佐にビザ再発行を嘆願。日本外務省が許可。神学生らが杉原の日本領事館に殺到。杉原は驚いて本省に訓令を求め、本省が許可。そこで杉原は1940.7.29から領事館閉鎖までの一ヶ月間に1500通のビザを発行。1941.3、世界ユダヤ協会は、樋口、安江、犬養を表彰。樋口、安江はゴールデンブック(恩人名鑑)に記載、犬塚には謝辞入りの銀製シガレットケースを贈呈。これは現在イスラエルの博物館が所蔵。(杉原は表彰されず)

5.1944年杉原は昇進、勲五等を叙勲。

6.終戦時のユダヤ人人口2.5万。満洲のユダヤ人が南下したものか。

7.戦後杉原はソ連に逮捕されたが、夫婦とも2年で虐待されずに帰国。安江大佐は大連の収容所で虐待され死亡。特別待遇の謎。

8.外務省がGHQの命令で減員700名。杉原は正規退職。退職金、年金も正規に受領。

9.ユダヤ人の恩返し:GHQ(ユダヤ系高官)が樋口少将のソ連引渡を拒否。1954年ユダヤ人が青山斉場で安江大佐の盛大な葬儀執行。フィリピンでユダヤ系米軍人が犬塚大佐を戦犯裁判から救出。

10. 杉原は湘南に広い屋敷がありながら60-75才までモスクワで3社の商社所長として単身生活。ソ連KGBの保護監視下。

11.杉原の正体:イスラエルの研究者は杉原のあまりに深いソ連との関係から、戦前からのソ連スパイの可能性を示唆。満洲時代の名前はセルゲイ・パブロビッチ。ロシア人妻と11年間生活。離婚して外務省へ。戦前モスクワ日本大使館勤務を命じられたがソ連が拒否。当然か。

12.今でもモスクワで杉原千畝顕彰行事がある。モスクワで一緒に働いた日本人の感想は、口の堅い男で、ユダヤ人のビザの話はしたことはなかったという。(東海子)

2016年12月26日 (月)

余命があぶり出し告発作業を急いでいるのはこういう理由である

余命ブログは、余命さん独特の晦渋策(わざと分かり難くしている)が施してある。

それを独断で取り除いたのだが、正しいかどうかは不明。

ーー以下「余命ブログ」より抜粋編集qazx

ーー1185 過去投稿記事から⑪

2年ほど前には、各方面からの識者、実務者数名による放談会の記事を載せていた。

放談というのは妄想や実現性を無視した無責任なお話である。

ところがそれが100%現実となると、大きな影響力を持つことになる。

つまり放談が放談でなくなった。

そため放談会が開けなくなったのである。

ーー

きわどいものが多くあり記事に出来なかった、その中に前線部隊の一番の要望というのがあった。

それは「標的をあぶり出し、特定し、色づけしてくれ」というものであった。

ーー

外患誘致罪による告発は、まさに「標的のあぶり出し、特定、色づけ」である。

敵さん、やっと気がついたのであろうか、対策にやっきとなっている。

読者も敵のカウンターデモがとても静かになっていることにお気づきだろう。

ーー1186 過去投稿記事から⑫

国家間戦争の場合は戦時国際法の出番である。

紛争状況ならば国内法である外患罪の出番だ。

いわゆる売国奴法である。

これは共謀罪よりはるかに使い勝手がいい。

ーー

日本国と日本国民を貶める行為はすべて外患誘致罪として告発できる。

ーー

基本、いかなる職種や組織にも聖域がなく、時効がない。

反日行為の既遂、未遂は問われない。

すべて外患誘致罪の未遂として処理することも可能である。

よって外患罪には援助罪や予備陰謀罪もある。

がそのほとんどが最高刑・外患誘致罪での告発となるだろう。

ーー

この法律は恐ろしいのである。
有罪なら死刑一択である。

ーー以下「余命ブログ」より抜粋編集qazx

ーー余命

日露首脳会談は意味のあるものであった。

それは、少なくとも1年程度は日支、日韓に重大紛争があろうとも露は傍観するという保険となったからだ。

ーー

支那では、共産党が共産党軍(人民解放軍)を統制しきれていない状況が続いている。

南シナ海において米支衝突の可能性がでてきた。

ーー

また、北朝鮮の国内事情は最悪だ。
このままではあと1、2年で崩壊する。

北政権存続の最後の機会は朝鮮戦争再開だ。
南の政治不在の現状は北にとって幸いなのだ。

米国は南北朝鮮事案を内戦としている。
北がソウルを破壊して南進したとしても米の介入はない。

米軍は北核実験施設を徹底破壊するくらいはやるだろう。

が、あとは放置し適当に争わせる。
それが最善の筋書きだからだ。

ーー

日本が南を軍事的に支援することはない。
逆に、海上封鎖、在日南北朝鮮人の駆逐という段取りになる。
当然、反日勢力も駆逐対象となる。

ーー

先般、日韓軍事情報交換協定が締結された。

韓国は日本の衛星軍事情報を欲している。
が日本は軍事情報衛星ではないとして提供する意思は全くない。

現状韓国は日米から完全に見捨てられている。

そのことを一番わかっているのは韓国軍だ。
朝鮮戦争再開となれば軍は一瞬で崩壊(逃走)するだろう。

ただし韓国が崩壊するかどうかは軍事力の優劣ではなく、世界情勢の問題である。

ーー

朝鮮人が沖縄で騒いでいるが超危険なのをわかっていないようだ。

余命があぶり出し告発作業を急いでいるのはこういう理由である。  

ーー抜粋ここまで

ーー以下「余命ブログ」より抜粋編集qazx

ーー読者「紫陽花」

「南シナ海において米支衝突の可能性がでてきた」

これは米大統領が代わる来年からということですね。

検察が外患罪の受理・訴追を先延ばししている理由はこれだったのですね。

そういえば、支那(漢)人は、歴史上外国に一度も勝利していない。

ーー

今検察は在日・反日勢力を一網打尽にするために待っているのでしょう。

竹島事案にしても韓国軍が竹島に進出していることで刑法81条の構成要件を満たしている。

ただ、今まで外患罪については法適用も判例もない。

在日・反日勢力が外患を誘致している事実で、死刑にすることに、現状の世論が納得するかどうか分からない。

それで躊躇しているのだと思っています。

ーー

ネット住人や余命読者なら彼らが悪意を持って日本人を奴隷にしようとしている事を知っている。

それ故に彼らを死刑にすることに納得できます。

しかし、国民一般の中には、納得できない人も居るはず。

法適用後に反発が大きくなれば日本社会は騒然とするでしょう。

それを懸念しているのだと思います。

ーー

ここで紛争が起これば一発で国民全体に納得されると思います。

その目に見える紛争が「米支紛争」ではないかと思います。

来年は米支紛争、朝鮮戦争再開の可能性が出てきた。

国内では在日・反日勢力の一網打尽がなされるのではないかと気を引き締めています。

ーー

ーー以下「余命ブログ」より抜粋編集qazx

ーー読者「たぬき」

「外患罪告発」については、全メディアが報道しない自由を行使しています。

しかし、ネット環境では周知のこと。
やがて多くの国民が知ることになる。
後は告発の連鎖が起こるはず。

という筋書きを期待してましたけど、いきなりの殲滅もありそうな感じになってきましたね。

ーー余命

行動する保守全体が標的を在日や反日勢力から霞ヶ関に向け始めたからね。

今後の運動は在日も反日勢力も相手にせず、対象は日弁連と検察となる。

カウンターも反ヘイト団体も暇になるだろう。

ーー

現状、検察は訳のわからぬ理屈をつけて告発状を返戻している。

これは結果として朝鮮人利権を擁護する対応になる。

再告発、再々告発だけではなく、新規の告発が相次ぎ、規模が大きくなっていく。

そんななかで、どこまで売国奴の汚名を着てまで朝鮮人利権を守るつもりなのか興味深い。

ここで朝鮮人利権というのは韓国籍と朝鮮籍の在日、そして帰化した者の利権の総称である。

ーー

指揮権についてだが、佐藤元総理造船疑獄事件の幕引きに使われた悪しき例がある。

今回は日本再生のためにしかるべき時に発動される可能性はある。

なぜなら、それが一番平和的な収拾手段だと思われるからだ。

2016年12月25日 (日)

彼らの、「人権を守れ!」「人権が大事だ!」の意味は、「弱者を俺の喰い物にさせろ!」なのです

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集qazx

権力の話です。

旧字の「權」の「雚」は、上の部分がフクロウの目、下の部分が小鳥を意味しています。

つまり「木の小鳥を、フクロウが捕食しようとして、狙っている姿」が、「權」の成り立ちです。

つまり支那・朝鮮人にとっての「權」は、「弱者から奪う」という意味を持ちます。

支那・朝鮮人にとって「権力」は、「弱者から奪う」力を持つことであり、「権力闘争」は、それを現在の権力者から奪い取るといった語感があります。

ーー

日本人は、「權」の文字を輸入するにあたり、「はかり、かり」という大和言葉を当てました。

「はかり」というのは、古代においては、天秤(てんびん)のことです。

つまり、左右の重さの均衡(つりあい)をとることが「権」だというのです。

また「かり」というのは、「仮に、その間を取り持つ」ということです。

正の大納言、権の大納言のように使われます。

今風に言ったら、これは部長と副部長の、副のようなものです。

ーー

つまり日本における権力者の意味は、「力のつり合いを取る者」という語感になります。

たとえば部長という権力者の役目は、本社の意向と、部内、場合によっては客先と話しを付け(つり合いを取る)ることなのです。

こう考えると、日本には、支那・朝鮮にみられる「権力者」(弱者から奪う力を持つ人)はいなかったと気付かされます。

ーー

「権」は、宮司の下に「権宮司(ごんのぐうじ)」という名称や、蔵王権現(仮の姿)のように今も使われています。

ーー

そして幕末に日本では、「Power」の訳語として「権力」が使われるようになります。

すると「宮司、権宮司」と並べると、「権宮司」の方が偉いと誤認されるようになり、権の代わりに「副(そえる)」という字が使われるようになる。

おかげで、いまでは副部長というと、なんだか部長の副えもの、もしくは部長になるための地位の意味になってしまっています。

ーー

さて日本ではもともと「つりあい」をとることを、「権」と言い、つりあいをとる人を「権力者」と言い、つり合いを決めることを「権威」と書いてきたわけです。

ちなみに「威」の訓読みは「のり」、「のり」というのは、条理のことです。

「おどす」とか「おどかす」の意味はそれが転じて生まれた意味です。

ーー

天秤は支点がなければ機能しません。
そして、軸(竿)や左右の載せ皿がなければ、機能しません。
三者が揃って、左右のつり合いを取ることができる。

ーー

日本での「キミ、トミ、タミ」のシラス(統治)関係は、キミが支点で、左右にトミとタミが釣り合っている構図に成ります。

ーー

さて、「人権」もまた、幕末に造られた言葉です。

英語「Human rights」の翻訳です。

Human rights(人に備わった規範)が、「人権」と訳されると、日本人は「人が支え合いながらつり合いをとって生きていく規範」と理解したのです。

日本人は、「人」を、互いに支え合うことと理解してきたからです。

ーー

ところが支那・朝鮮人にとっての、「人」は、両手をだらりと前に垂らして、前かがみになってつられている屍体です。

要するに、食肉用の屍体を指します。

そして「権」は、フクロウによる小鳥の捕食「弱者から奪うこと」です。

つまり支那・朝鮮人の「人権」は、「食肉として人を捕食すること」、つまり、弱者を喰い物にするという語感になってしまうのです。

ーー

いま支那・朝鮮人は、「人権」という言葉を使っていますが、彼らが理解している内容は、日本人のそれとは違っている可能性があるのです。

彼らは常に、「人権を守れ!」「人権が大事だ!」と絶叫します。

日本人は、勝手に「私たちの生きる権利を守ろうとしてくれているありがたい人たち」と思い込みます。

ところが、彼らの、「人権を守れ!」「人権が大事だ!」の意味は、「弱者を俺の喰い物にさせろ!」なのです。

それに騙されて、一緒になって「人権を守れ」と言っている日本人こそ、大間抜けのお人好しということになります。

また彼らにとっての「人権派の弁護士」というのは、俺の稼ぎが欲しいだけの、人を喰い物にする弁護士ということになってしまいます。

ーー

文化の差というのは、おそろしいものです。

この違いを理解しないで、国会で与野党入り乱れて論戦をしても、議論がかみあうはずがありません。

ーー

日本人というのは、「日本に住んでいる」人でも、「日本語が喋れる」人でもないのです。

人と人とが支え合い、譲り合って、みんなが共に繁栄していけるよう、天皇を敬い生きる人です。

(天皇の存在は独裁者の出現を防いでいる)

そのことが理解できて実戦できていれば、それは日本人です。

日本に住んでいなくても、また日本語がわからなくても、彼は日本人なのです。

ーー

支那・朝鮮人と日本人とは、
人種が違う、文化も違う、
「助けず、教えず、関わらず」

日本人は、かれらに関わると、必ず怪我をするのです。

お読みいただき、ありがとうございました。

2016年12月24日 (土)

このことからも彼らはサヨクではなく単なる反日勢力であることが分る

ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評(評者浅野正美)」より抜粋編集qazx

宮崎正弘『日本が全体主義に陥る日』(ビジネス社)

著者は全体主義を以下のように定義する。

「それは自らが信じる絶対的な価値観しか認めず他者の考え方を否定し、排撃し、排斥する、一つの強固な考え方に基づいて全体を統一することだろう」

だから政治思想でいえば、共産主義も社会主義も全体主義であり、ヒトラーのナチスも、軍事独裁的なファシズムも全体主義なのである。

そしてキリスト教もイスラム教もユダヤ教も一神教であるがゆえに全体主義なのである

敵対者には容赦がない。

ーー

「全体主義=共産主義の悪性ウイルスは世界中にばらまかれ、あちこちに愚考が繰り返され」た。

「日本は海洋国家であり、多神教であるがゆえにユーラシアが体験した全体主義とは無縁でいられた」 

ソ連崩壊以降、全体主義はその本質を隠して、世界をグローバリズムという一神教的思考で統一しようとした。

そして今、世界的規模で反グローバリズムの大潮流が起きている。

しかし「全体主義との戦いはまだまだ続く」のである。

ーー

1989年、ポーランドに起こった反革命運動は、瞬く間に東欧諸国に広がり、ルーマニアのチャウシェスクは公開処刑され、ベルリンの壁は破壊された。

その二年後1991年にはソ連邦が崩壊し、自由主義陣営が勝利の美酒に酔いしれた。

レナード・バーンスタインは、旧東ドイツ・ドレスデンでの祝賀コンサートでベートーヴェンの第九交響曲を指揮した。

第四楽章では、歌詞のフロイデ(歓喜)を、フライハイト(自由)と替えて歌わせた。

その場に居たほとんどの人が自由の勝利を無邪気に喜び、平和の到来を信じた。

ーー

このときこれを見た日本の左翼は煩悶したのか。

青春を共産主義社会実現のために捧げた身であるならば、ソ連邦崩壊様を目の当たりにし絶望したのではないか。

続々と自殺者が出るのではないか、例え死ななくとも心身に変調を来し、ある者はノイローゼになり、またある者は癈人となる例が続出するのではないか。

しかし彼らは実にあっけらかんとして前言を翻すこともなく、平然とその後の時代を生き抜いた。

(このことからも彼らはサヨクではなく単なる反日勢力であることが分る)

ーー

一方、共産主義を徹底的に批判してきた人たちは、この歴史のドラマに触発され、思索し、行動した。

その内の一人が西尾幹二氏であった。

1989年のベルリンの壁崩壊後から程なくして西尾氏が東欧諸国の知識人と交わした激論は、「全体主義の呪い」と題して一冊の分厚い本に収められた。

そして、本書の著者である宮崎氏は、ベルリンの壁が落ちる前後をベルリンで過ごし、開放のその時をその目で目撃していた。

著者は今回の東欧への旅に西尾氏の「全体主義の呪い」を持参したと書いている。

ーー

本書ではさらに二冊の書物が紹介されている。

それは、「ドナウの旅人」(宮本輝著)と「憂国者たち」(三輪太郎著)である。

ーー

「ドナウの旅人」はこの大河に沿ってドイツの源流からルーマニアを経て黒海に注ぐまでの風景と、その3000kmを旅する人を描いた長編小説である。

不倫の道行物で、朝日新聞に連載された娯楽小説だ。

この小説が書かれたのは80年代の前半であり、まだユーゴスラビアという国が存在していた。

物語はそのユーゴスラビアがあったバルカン半島での描写も多い。

ーー

「憂国者たち」の方は、そのバルカン半島でセルビアの政治指導者として活躍し、最後は投獄されたカラジッチと三島由紀夫とのつながりを、二人の日本人大学生を絡めて描いた小説だ。

宮崎氏はこの書物にほんの少しだけ登場する初老の右翼に注目している。

「純粋な右翼道を求める初老の紳士は高田馬場の小さな雑居ビルに清楚に暮らしながらも日本のあるべき姿を追い求め、日夜、和歌を詠んでいる」

「本棚には三島の最後のテープも納められていた」

「作者(三輪太郎氏)は特定のモデルはおらず、複数の右翼団体を錯綜させて造形したという」

「元「重遠社」代表で三島研究会事務局長だった三浦重周風でもある」

三浦重周氏と著者(宮崎)は思想的同志として、早稲田大学に在籍していた時代から、右派学生運動に挺身していた。

三島由紀夫亡き後は、その思想と行動を継承すべく毎年の命日に開催されている「憂国忌」を二人三脚で支えてきた間柄である。

その三浦重周氏も自決した

ーー

1989年のベルリンには、人類史に特大の活字で記されるであろう歴史の瞬間があった。

宮崎氏には、その現場に立ち会いたいという好奇心もあったであろう。

しかし宮崎氏は、学生時代から一貫した保守思想の持ち主で、三島由紀夫の思想と行動に心酔し、愛国者として生きてきた。

それ故に、氏自身が信じる生きる理由(raison d'etreレゾンデートル)を、確認する意味もあったのではなかったかと思う。
 
ーー

今日のバルカンの悲劇を予感させる小説に、ヨゼフ・ロートの「ラデツキー行進曲」がある。

オーストリア・ハンガリー帝国の崩壊を、惜別の念をもって歌い上げた、帝国にある種の敬意(オマージュ)を捧げる作品だ。

が、カラジッチもまた、チトーのような融合国家を目指した政治家だった。

そのカラジッチが悪の代名詞のように糾弾され、戦犯の汚名を着せられた。

これは欧米の書いた筋書きによるものだった。

ーー

民族浄化(ethnic cleansing)というおぞましい標語を発明したのは、米国の「戦争広告代理店」であることが本書には書かれている。

そして、大東亜戦争が日本に一方的責任があるとして戦勝国から裁かれた東京裁判と似ていると続いている。

旧ユーゴの章はこんな文章で終わっている。

「絶えず戦雲に覆われるバルカン半島、行方は多難と言わざるを得ない」

ーー

本書の特徴の第一に上げられるのは、なんと言っても豊富な写真の数々である。

多色刷りで31枚と、本文中に挟まれた100枚を越す写真によって、読者は簡単に行くことのできない遠い外国々の様子を見ることができる。

そして、文章からも写真からも、著者の眼差しがそれぞれの地に暮らす庶民に注がれていることが良くわかる。

どんな服装をして、どんな物を食べているかという、人間の幸福の第一条件が実に良く観察されているのである。

ーー

著者の旅はいつでもそうだが、旅行業者が決して案内しないような路地に入り込み、その地に暮らす人々の息遣いを肌で感じて来る。

そして、そうした人々と同じ店で食をし、現地の人に気軽に話しかけもする。

夜の街にも積極的に出掛けては、そこで働く従業員の悩みや夢や希望や絶望に耳を傾ける。

なぜかみな、著者の前では胸襟を開いて本音を語るのである。

案内本には載っていないもう一つのお国振りが、こうした取材によって浮き上がって来るのである。

ーー

二度、三度と訪れた国では、政治体制の変遷と共に、そこで暮らす人々が以前よりも幸福になったであろうかという視点を著者は常に忘れない。

普段から国際政治を果断に分析し、いち早く正しい予測を下す著者の印象とは、冷たい知識人という一面が強いのではないかと思う。

しかし、人間を見つめる氏の眼差しはいつでも暖かい。

そうした資質を著者にもたらしたものとは、膨大な読書であろう。

古今の文学作品を読むことによって、人間性の本質に対する感性が涵養されたのではいかと思う。

ーー

もう一点の注目すべき記述として、「全体主義国家からの転換、成功組、失敗組星取り表」がある。

これは、著者の主観に基づいた30か国における
「脱全体主義のその後」のありさまを、
・政治体制
・市場経済
・言論の自由
・国民の生活水準
の四項目についてそれぞれ・優・良・可・不可・最悪
の五段階で採点した一覧表である。

ーー

終章では、本書の題である「日本が全体主義に陥る日」についての警告が述べられている。

「日本ばかりか世界中で言語空間はおかしくなり」混乱している。

その隙を突くようにして全体主義者らは、「反戦」「反原発」「環境」「男女賃金格差」「同性愛結婚」「ヘイトスピーチ」など不可解な言葉を使い、洗脳を継続している。

全体主義者(無国籍者)には本物の芸術作品が生まれない悲劇を指摘した後、本書は次の言葉で結ばれている。

「全体主義の呪いはむしろ現代の日本に残留しているのではないか」

ーー

本書のカバーを外したら、全体が真っ赤に装丁されていた。

赤は共産党を象徴する色でもあり、全体主義の犠牲となって流された夥しい血の色でもある。

表紙の中央には、表にウイーン、裏にはワルシャワの写真が、掛け軸のように縦長に画像加工されてはめ込まれている。

考えすぎかもしれないが、どちらの都市も、近現代の欧州転変を象徴する場所だった。

2016年12月23日 (金)

歴史に埋もれてしまった日本兵に、ようやくいま一条の光があたった

ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集qazx

木本あきら『勇者は語らず』(幻冬舎)

1945(昭和20)年9月2日、横須賀沖のアメリカ戦艦ミズーリ号上で降伏文書の調印式が行われた。

その後も、およそ千名の日本兵がインドネシアに残り、独立のために生命を捧げた。

これらの英霊たちは、今、インドネシアの土の下で眠っている。

インドネシアの人々は、いまも彼ら日本兵の勇気を語り継ぎ、英霊を祭り称えている。

が、肝腎の日本では、誰も知らない。

歴史に埋もれてしまった日本兵に、ようやくいま一条の光があたった。

ーー

インドネシア独立戦争では、現地の若者を訓練し、作戦を立て、独立を勝ち取るまで影で活躍し、華と散った多くの日本軍人が居たのだった。

ーー

評者(宮崎)の脳裏にこびりついている風景。

それはベトナムのラオス国境に近い緑深いのどかな田園地帯ディエンビエンフーで62年前に起きた爆風である。

ベトコンの軍略家ボー・グエン・ザップが率いたゲリラ部隊がフランス軍が築いたA1基地を陥落させたのだった。

A1基地は、近代装備と飛行機部隊をもっており難攻不落と言われていた。

ゲリラ部隊は、フランス精鋭部隊の拠点基地の真下にまで地下トンネルを掘り進め、そこに爆薬を仕掛けて吹き飛ばしたのだ。

ーー

ディエンビエンフーへのローカルな国内線はハノイから一日二便あった。

ディエンビエンフー飛行場は、田舎の駅舎のように閑散としていたが、タクシーが客待ちをしていた。

評者(宮崎)それを拾い、運転手のたどたどしい英語に苛立ちながらも、見たいところを全部見た。

ーー

このディンビエンフーの物語はいまも語り継がれ、多くの歴史書も書かれた。

ーー

日本帝国軍は日露戦争で難攻不落と言われたロシアの二百三高地ベトン基地をトンネルを掘り進めて爆破破壊したのだった。

評者はディンビエンフーの地勢が二百三高地に似ていると感じた。

そして、それを陥落させた作戦が二百三高地陥落と酷似しているのを知って、この作戦は、残留日本兵が立案したのではないかと直感したのだ。

実際に、ベトナムにも戦後、数百の日本兵が残留し、独立戦争を戦っていた。

これについては井川一久氏らの研究が進んでいる。

ーー

台湾では軍事教練に「白団」が赴いたが、別途蒋介石応援のため、根本中将ら数人は漁船に釣り人を装って乗り込み、台湾に密かに上陸し、金門島作戦を指導したことがあった。

ミャンマーで、インドで独立への勇気を与えたのは日本軍だった。

日本軍は、満州を建国し、徳王をいただき蒙古の独立に夢を描いた。

支那にあっては孫文を、ついで王兆銘を助け、朝鮮半島では金玉鈞を支援した。

このようにしてあの大東亜戦争の理想としたアジア解放がなされた。

その背後には、猪突猛進し、理想のために犠牲となった幾千、幾万の皇軍兵士がいたのだ。

ーー

しかし彼らは、彼らの母国日本では、今も顧みられてはいない。

ーー

ならばインドネシアに残留した日本兵はいかに戦ったのか。

まさに勇者は語らず。
いまとなっては殆どの記録がない。

しかし現地では世代を超えて、黙々と語り継がれている。

彼らの墓と思われる場所は記憶され、日本兵の勇気を語り継ぐ人々がいる。

ーー

著者の木本あきら氏は、それを追った。

正確な記録がないために、記録を繋いでいるのは木本あきら氏の作文である。

しかし書かれているのは概ね真実に基づいている。

その日本兵の使命感、世界観、その壮烈な生き様、現地の人々への愛がさりげなく、淡々と語られる。

ーー

「昭和17年、インドネシアに上陸した日本軍は、350年間インドネシアを植民地として統治してきたオランダ軍をわずか九日間で降伏させ、収容されていた独立運動の指導者スカルノとハッタを釈放した」

そこで日本軍は、インドネシアの若者を集め「郷土防衛義勇軍」を結成し、軍事訓練をなした。

突然の終戦で引き上げることとなった日本軍に対して、かれらは残ってくれと懇願した。

多くの日本兵士は『葉隠れ』を教わり武士道精神をたたき込まれて育った世代である。

「この高貴な決意を捨てるべきではない。インドネシアに残って、彼らの独立を助けることが正道のような気がする」

そのひとり高木は、

「『えーい』と低く叫んで軍刀を抜き、冷たく光る鋭い刀先をしばらくみつめた」

「そして残留を決意した」

「窓から外を覗くと、天空は星に埋め尽くされ、地平線の少し上に一際明るい南十字星が輝いていた」

ーー

残った日本兵は、

「甘ったるい平和に背を向け、死に神がいつも招いている戦場に帰って、再び戦うことを撰んだ」

「そこは一切の怠惰は許されない破壊と殺戮を繰り返す危険な戦場」があった。

ーー

本書は、その「死を恐れない、勇猛で傲慢な男たち」の『その後』を辿った。

2016年12月22日 (木)

米国はイギリス人移民が作った共和国であり、ユダヤ人の国ではない

ーー以下「黒木頼景ブログ」より抜粋編集qzx

ユダヤ人は、「白人たちが差別を行っている」とか「ネオ・ナチの白人どもが台頭し始めている」、「外国人排斥を主張する白人が出て来た」と騒ぎ立てる。

しかし、米国はイギリス人移民が作った共和国であり、ユダヤ人の国ではない。

ーー

ユダヤ人らは、米国に移民してくる時には、「なにとぞ受け容れて下さい」と涙ながらに懇願していた。

それが、国籍を取得するや、脇目も触れずゼニ儲けに邁進し、政財界、教育界、言論界、メディア、法曹界を支配してしまった。

そして、「ユダヤ教徒への偏見だ」とか「他民族への公平性を欠く」とか言い出して、欧州白人の伝統的価値を破壊しだした。

同じことを欧州でやって嫌われ追い出されたことへの反省はユダヤ人には一切ない。

ーー

ユダヤ人は、ナチスに皆殺しにされた、つまりホロコーストの広告・宣伝に務め、ついに、欧州白人を加害者に、自分たちを被害者にすることに成功したのだった。

欧州白人が、加害者の立場にひるんだ隙をついて、言論・メディアを支配し、欧米世界をユダヤ人の都合の良い社会に改造しようと試みた。

ーー

アングロ・サクソン人は、ドイツ人に勝った。

それをユダヤ人は、ドイツの人種差別主義を打倒したと広告・宣伝しまくったのだった。

以来欧米諸国は、異民族の流入を阻止すると人種差別だと非難されるようになってしまった。

こうなるとアングロ・サクソン人は、ユダヤ人を隔離したり、差別することが出来なくなる。

ーー

米国では、ユダヤ難民や有色人移民が押し寄せても、それを防ぐ有効な手段が見つからず、なし崩し的に異民族が流入する結果となった。

ーー

英国は特に悲惨で、戦争に勝って景気は低迷し、社会主義者が元気になった。

それで英雄チャーチルは議員に成ることさえできなかった、落選してしまったのだった。

そのうえ、ジャマイカやインド、エジプト、香港から有色人種が雪崩れ込み、ロンドンを上陸地点にしてイングランド各地に散らばっていった。

さらに、気がつけば金融の中心地「シティー」はユダヤ人だらけに成っていた。

ブレア首相やキャメロン首相のパトロンもユダヤ人、栄光ある下院議長もユダヤ人、カンタベリー大司教までもがユダヤ系に成っていた。

これでは、イギリス人だって国粋主義が目覚めてきて、「奇蹟よ起これ!ヒトラーの復活を願う!」とつぶやきたくなるだろう。

ーー

米国でも同じことが起こっていた。

ドイツに勝って帰国したら、故郷にユダヤ人が大量に住みついて居たのだった。

ユダヤ人らは、「黒人に公民権を与えろ」と言い、公民権運動家に運動資金を提供した。

ドイツからフランクフルト学派のユダヤ知識人が移住してきて、あっと言う間にアメリカの大学は共産主義者だらけになってしまった。

(彼らは社会主義が落ち目になると自由主義者リベラルと名乗るようになった)

彼らは西歐社会を心底憎んでおり、キリスト教に基づくアメリカ社会をズタズタに切り裂いた。

大学のユダヤ人教授がこうして欧州系アメリカ人の伝統的価値観を破壊したのだ。

ーー

一方で、アメリカのユダヤ人団体は「ホロコースト物語」の宣伝に努めた。

これといった証拠も無いのに「ガス室殺人」が行われたと騒ぎ、ナチズムはヨーロッパのみならず全人類に対する罪であると喚(わめ)いた。

無知で信仰心厚いアメリカ人は、ユダヤ人が悪意を持って、アメリカ社会を改築しているとは考えもしなかったのである。

ーー

アメリカ人はナチスを倒し、勝利の美酒に酔いしれていた。

そして、哀れなユダヤ人を助けてやったと自慢した。

ユダヤ人からも褒めらいい気になっていた。

ーー

しかし、ユダヤ人らは、肉体が西歐人と違い、目立ってしょうがないのを、混血で分らなくしようと企んでいたのだった。

それがユダヤ人作家で、熱心なシオニストであったイスラエル・ザクウィル(Israel Zangwill)の提唱した「人種の坩堝(るつぼ)」の隠された狙いである。

ーー

ユダヤ人は、アメリカで反ユダヤ主義を阻止するためには、誰でも直ぐに理解でき、理屈抜きで「巨悪」と言える具体名が必要だと考えた。

そしてヒトラーを歴史上のユダヤ人を虐殺した巨悪に仕立て上げた。

ユダヤ人教師の役割は、「アメリカ兵はヒトラーをやっつけ、ユダヤ人を救ってくれました」という構図をアメリカ人の頭に叩き込むこととなった。

ーー

白人が、「白人の国家がいい」と本音を漏らした。

するとユダヤ人記者は、「ネオ・ナチの勃興だ」、「レイシズムの発言だ」と攻撃した。

しかし、アメリカ人の多くは、ユダヤ人が居なくても全く困らない。

欧州出身のアメリカ人たちで近所からユダヤ人がいなくなって寂しく思うものなどいないだろう。

ーー

オルタ・ライト(右派)のアメリカ人は、昔のアメリカ人が享受していた西歐的キリスト教社会を取り戻したいだけなのだ。

公民権運動以前のアメリカなら、白人の子供は人種混淆学校に通わずにすんだ。

そして、教室でキリスト教文化に基づく授業を聞き、白人の偉業を誇れるような薫陶を授かることができた。

一般生活でも、堂々とヨーロッパ人の肉体美を賞讃でき、ゲルマン人の理想を象(かたど)った彫刻を素晴らしいと評価できたのだ。

ーー

アメリカ白人は自分たちの遺伝子を保存する優生学や異人種排除、同胞優先をユダヤ人から禁止されている。

ーー

が、イスラエルではこれらアメリカではタブーとなっている行為が奨励されているのだ。

イスラエルはユダヤ教が国教になっている。

アラブ人は永遠に異教徒で、彼らが刃向かえば戦車で踏み潰して、逃げ惑う者には迫撃砲を喰らわす。

エチオピアやスーダンからのユダヤ人移民は極力排除して、ユダヤ人の肉体が黒くならないよう隔離の対象としている。

アラブ人との結婚だって猛反対。

ユダヤ教の教師(ラビ)たちは、ユダヤ人女性にイスラム教徒と結婚せぬよう誡めている。

ーー

しかしユダヤ人男性の性慾の対象は「北歐系アーリア人娘」なのである。

ーー

イスラエルでは「ナターシャ貿易」という人身売買が流行っていて、美しい白人コール・ガールを揃えていたりする。

いくら人種平等主義を奉じているユダヤ人だって、抱く女は綺麗な方がいい。

廓(くるわ)に入れば、ナチ党員も目を丸くする程の「アーリア人愛好家」に様変わりする。

地獄でヒトラーも笑っているはずだ。

ーー

ニューヨークに住む敬虔なユダヤ教徒でも、異教徒で娶るのは白人娘が多い。

ーー

アメリカ白人はユダヤ人により「白人であることの罪悪感(white guilt)」を刷り込まれている。

だから公の場で「黒人が嫌いだ」とか「ユダヤ人は気持ち悪い」とは言えない。

そう発言したら、即座にネオ・ナチの烙印を押されてしまう。

そして社会的地位を失う。

ーー

ヒトラーは、ヨーロッパ人の本音を代弁し、それを堂々と公言した。

ヒトラーは、従来からあった主義主張を集約して、実行したに過ぎない。

だから、ナチスはドイツ国民から支持され政権与党に成れた。

ーー

アングロ・サクソン系のアメリカ人が、自分と似ている娘を持ちたいとか、同じ種族の子供がいる幼稚園に通わせたいというのは人情だろう。

縁談を心配する母親だって、ユダヤ的人相の孫よりも、ゲルマン人的笑顔の赤ん坊を抱きたいはずだ。

これに目くじらを立てるユダヤ人の方がどうかしている。

ーー

とにかく、ユダヤ人は米国でブツブツ文句を垂れていないで、さっさとイスラエルに移住して、彼らが主張してきた社会改革でも多文化教育でも好きなようにやればいい。

日本人は歐米人じゃないんだから、ユダヤ人の洗脳を振り払って、常識でアメリカ社会を分析すべきなのだ。

せっかく日本には言論や思想の自由があるんだから、我々はアメリカ白人のような馬鹿になってはならない。

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