2016年8月31日 (水)

今ようやく在日・反日勢力のあぶり出しが完了したのです

ーー以下「中韓を知りすぎた男ブログコメント欄」より抜粋編集qazx

ソロです。

私は最近まで、日本政府が歴史問題で反論するのを見た事がありません。

日本は、韓国との講和つまり日韓基本条約締結以来、韓国に例えば地下鉄の敷設他膨大な支援をしてきました。

その支援の理由として売春婦を慰安婦に書き換えると言うようなことが政権内部で必要だったのでしょう。

何しろ、敗戦以来ずっと、政権内にも野党にも在日・反日勢力だらけの状態であったのです。

これが日本政府が歴史問題で反論しなかった理由でありましょう。

反論できなかったのです。

ーー

しかし、支那・朝鮮人は、史実の検証をせずに、こうした問題を「歴史問題」として日本政府に突き付けてきた。

70年もたてば、メディアや言論を牛耳ってきた在日・反日勢力も代替わりする。

そして今、史実が問題とされるようになり、これまで押し付けてきた「歴史問題」には根拠が無いということが日本国民にばれてしまった。

とても頭の良い日本人は、この状況を素直に理解し、支那・朝鮮人の主張に反論するようになっている、というのが現状でしょう。

ーー

もう日本人のだれもが、慰安婦や南京大虐殺を問題にしなくなっているのです。

それが問題になると思っているのは、もう在日・反日勢力だけだと言ってよい状況になっている。

日本政府が反論しなかったばかりに、在日・反日勢力は、嵩(かさ)にかかって、「慰安婦、南京大虐殺」を歴史問題にしてきた。

振り返ってみれば、それによって今や、在日・反日勢力があぶりだされ、いつでも排除できる状況になっているのです。

念を押すかのように政府は、8月24日、韓国政府が元慰安婦支援のために設立した団体に、10億円を拠出することを閣議決定しました。

ーー

冷徹な歴史の結論を利用したこの見事な処置は、誰かが考えた作戦というよりも世界最長の歴史をもつ日本ならのものでありましょう。

日本の歴史では不当に利益を得ていたものは必ず処罰されるのです。

ーー

敗戦以来、在日・反日勢力は、占領軍の旧体制の破壊に協力することで、日本の支配者に成った。

そして日本の政財界、教育界、言論メディア界、法曹界を支配してきた。

ネット環境で、在日・反日勢力が日本を毀損し、彼らこそが、日本人に戦争犯罪を押し付けてきたという事実が明らかにされた。

今ようやく在日・反日勢力のあぶり出しが完了したのです。

そしてようやく日本政府も、「対韓、対中外交」について、距離を置くことが出来るようになった。

ーー

日本においてはもはや、在日・反日勢力の立場が無くなりつつある。

ーー

日本は1989年に経済バブルの絶頂期を経験し、米国から警戒される事態となります。

すると大蔵省は各銀行に対し貸し出しの総量を規制すべしとの通達を出しバブルを潰したのです。

ーーwikipediaより

総量規制(そうりょうきせい)は、1990年3月に、当時の日本の大蔵省から金融機関に対して行われた行政指導。1991年12月に解除されるまで約1年9ヶ月続いた。

大蔵省銀行局長通達「土地関連融資の抑制について」のうちの、不動産向け融資の伸び率を総貸出の伸び率以下に抑えることをいう。通達を出したのは大蔵省銀行局長の土田正顕。当時の大蔵大臣は橋本龍太郎。

ーー抜粋ここまで

以来、円高となり、賃金・物価は安定して、それが2012年まで続いた。

賃金・物価が安定するデフレ状態では、働くことさえできれば、豊かな暮らしができることを意味する。

幸い日本の失業率は先進国では最低を維持し、それが20年以上も続いたのです。

この事実は、日本国民が世界一の実質的な金持ちとなったことを意味します。

日本人の豊かさは、日本人が海外旅行をしてみればよく分かると思います。

ーー

総務省はバブル期国内総生産GDPが増え、米国から対抗処置を取られたことに懲り、国内総生産を低めに報告し続けている。

ーー

そして安倍政権となり、日銀の国債買い(金融緩和)操作によって円安状態が作られ、支那・朝鮮から国内へと企業回帰がなされた。

しかもこれは同時に、支那・朝鮮経済の没落を意味していた。

そして日本からの、支那・朝鮮への資金援助が減らされると、両国は見る見るうちにその経済力や国際的な地位を下げ出したのです。

今、国内では、労働者不足状態となっている。

と言うことは、日本の経済力がいかにすごいものであるかが分かると言うものです。

ーー

日本政府は、国内の在日・反日勢力を一掃するまでもなく、反日国とは距離を置けるようになるでしょう。

親日かつ国際法を守る国を仲間とし、これまで同様に経済支援を求めてくる国には、謙虚に接して、誠実に支援する。

日本の国際的な地位はこれまで通り堅実に上がっていくはずです。

2016/08/26(金) 11:19:20| URL| ナポレオン・ソロ #90LdKUd6

2016年8月30日 (火)

ところで、初の外患罪適用が可能となって、いったい何がどう変わるのか

ーー以下「余命ブログ」より抜粋編集qazx

ところで、初の外患罪適用が可能となって、いったい何がどう変わるのか。

外患罪は対外存立法であり、有事にのみ効力を生じる。

それが適用可能な状況下では反日行為はすべて告発対象となる。

国益を害する行為や日本人を貶める行為も対象となる恐ろしく間口の広い売国奴駆除法である。

ーー

すでに尖閣紛争で外患誘致罪の対象者や組織が特定されている。

北朝鮮潜水艦ミサイルSLBM発射で北朝鮮有事となった。

これにより、無条件で朝鮮人学校への補助金支給をしている知事は告発対象となった。

対象国へ便宜を図るのが目的と考えられている「外国人参政権を推進する輩」も対象となる。

新聞、テレビをはじめ反日勢力で外患誘致罪の対象者は最低でも数百に及ぶだろう。

ーー

外患罪は特異な有事法であって、優先法ともいうべき面が強い。

告発があった場合に、それを擁護する者は、同罪として告発される。

これでは反日弁護士らも手が出せないだろう。

ーー

まあなんと言っても大きいのは外患罪事案が誰でもいつでも告発できるようになったことだ。

今までやりたい放題だった在日・反日勢力の案件がことごとく告発対象となったのだ。

これが余命が作ろうと目指してきた環境だ。

これで余命の仕事は成就した。

ーー

9月10日の「外患誘致罪」出版にあわせて集団告発に取りかかる。

が、すでに余命がいなくても機能するようになっている。

集団告発は日本社会に衝撃を与える儀式にすぎない。

ーー

この外患罪の告発は実に簡単なものだ。

具体的に例を挙げて考察してみよう。

すでに告発が予定されている朝鮮学校への補助金問題では、
1、知事名
1、告発事案(朝鮮人学校への補助金支給)
1、 該当刑(刑法第81条 外患誘致罪)
の3点で事足りる。

考察
1、事実であるので事実関係の争いはない。
1、告発条件が満たされており警察も地検も受理せざるを得ない。
1、外患誘致罪での告発であるから起訴せざるを得ない。
1、外患誘致罪での告発であるから、結果はクロか白だ。
1、重犯罪であるので、即、逮捕まであるかな?

ーー

6月5日川崎デモに参加の国会議員
1、名前
1、外国人勢力と通謀し、日本人の政治デモを妨害、中止させた
1、該当刑 (刑法第81条 外患誘致罪)

支那で好き勝手に日本を貶める発言をした元首相
1、名前
1、告発事案 日本と国民を貶める発言と行為
1、該当刑 (刑法第81条 外患誘致罪)

沖縄で日本を貶める発言と行為をなす新聞と知事
1、組織
1、告発事案 数々の売国行為
1、該当刑 (刑法第81条 外患誘致罪)

告発はこんな感じでOKだから誰でもできるよな。

2016年8月29日 (月)

参院選後の改造人事で、稲田防衛相が就任すると、一気に支那・韓・北有事と成った

ーー以下「余命ブログ」より抜粋編集qazx

余命著「外患誘致罪」
9月10日発売

余命は、「日本再生のためのブログ」を開設した。

そして、日本再生のためには、 在日・反日勢力の駆逐が必要であると訴えてきた。

そう主張するブログも多い。

しかし、在日・反日勢力を駆逐する方法について書いているのはこのブログのみである。

余命は、初期から、在日・反日勢力を駆逐する法律が既に存在するのに目を付けた。

それを在日・反日勢力を駆逐する唯一無二の手段と考えてきた。

今まで、誰にも注目されず、警戒もされていなかった法律である。

それが外患誘致罪なのである。

ーー

この法律は反日メディアによって完全に封印されており国民に知られるわけがなかったからだ。

というのも適用対象がまともに反日メディアを牛耳っている在日・反日勢力であるからだ。

それにこの法律は有事法であり、有事という環境が必須であった。

在日・反日勢力の駆逐には最低でも南北朝鮮有事、理想をいえば支那有事が必要だったのである。

ーー

ところがまず、韓国軍が竹島で軍事演習をしたことで韓国有事が成立した。

その後支那が尖閣領域を犯す事態となり支那有事が成立。

さらに北朝鮮が潜水艦発射ミサイルSLBMを日本の防空識別圏内の日本海に落としたことで北朝鮮有事が成立した。

支那、南北朝鮮有事の出現によって、この法律が成立する環境が整ってしまったのだ。

ーー

昨年7月9日からの一連の安倍総理の対応を見ると在日・反日勢力の一括駆除、外患罪適用が見えていた。

その後、参院選後の改造人事で、稲田防衛相が就任すると、一気に支那・韓・北有事に成った。

運は理屈ではないから恐ろしい。

ーー

余命は、これまで安倍総理の強運により「外患誘致罪」が成立することを見越して、保守勢力のまとめと外患罪事案の集団告発適用の戦略を立て動いてきた。

妄想と願望が入り交じった戦略であったが、結果は尖閣問題が起き支那有事となった。

これによって支那案件では沖縄新聞2紙も翁長知事も鳩山、村山元総理も外患誘致罪に問うことが可能になった。

北朝鮮事案では朝鮮人学校への補助金を支給している知事も外患誘致罪に問えることになる。

そもそも教育機関とは言え、法律で禁止されていることに逆らってまで、紛争当事国に資金援助しているのである。

憲法違反である生活保護費の外国人への支給を含めて告発対象となった。

ーー

この外患罪の恐ろしいところは、その行為が国家、国民にとって黒白だけ、つまり有罪か無罪だけを問われるところにある。

売国行為があるから告発されるのでまず無罪はありえない。

対外存立が法意であるから国が決めたことを現場が無視するような行為は、いかなる理由があろうと考慮されない。

国の決めや方針、命令を現場が勝手に裁量することは事案によっては国の存亡にかかわるからだ。

ーー

よく人道問題としてユダヤ関連で杉原千畝が語られる。

確かにユダヤ人的には立派な行為をしたことに間違いはない。

しかし、一歩間違えば日独という国家関係に悪影響を与えかねず日本国民にとっては不利となる状況であった。

彼は勧進帳での関守の富樫左衛門を気取ったのであろうが、それは日本国内でのみ有効な態度だ。

ーーwikipediaより「勧進帳」

源頼朝の怒りを買った源義経一行が、北陸を通って奥州へ逃げる際の加賀国の、安宅の関(石川県小松市)での物語。

義経一行は武蔵坊弁慶を先頭に山伏の姿で通り抜けようとする。

辿り着いた関で、弁慶は焼失した東大寺再建のための勧進を行っていると言う。しかし、関守の富樫左衛門の元には既に義経一行が山伏姿であるという情報が届いており、山伏は通行罷りならぬと厳命する。

これに憤慨している弁慶に山伏なら呪文を知っているはずと問う。すると弁慶は仲間と富樫調伏の呪文を唱え、疑いを晴らそうとする(ノット)。

さらに富樫は先の弁慶の言葉を思い出し、勧進帳を読んでみるよう命じる。弁慶はたまたま持っていた白紙の巻物を勧進帳であるかのように装い、朗々と読み上げる(勧進帳読上げ)。

なおも疑う富樫は山伏の心得や秘密の呪文について問い質(ただ)すが、弁慶は淀みなく答える(山伏問答)。

富樫は通行を許すが、部下の一人が強力(ごうりき、義経)に疑いをかけた。弁慶は強力に扮した義経を金剛杖で叩き、その疑いを晴らす。

危機を脱出した義経は弁慶の機転を褒めるが、弁慶はいかに主君の命を助けるためとは言え無礼を働いたことを涙ながらに詫びる。

それに対して義経は優しく弁慶の手を取り、共に平家を追った戦の物語に思いを馳せる。そこへ富樫が現れ、先の非礼を詫びて酒を勧める。それに応じて、弁慶は酒を飲み、舞を披露する(延年の舞)。

舞いながら義経らを逃がした弁慶は、笈を背負って富樫に目礼。主君の後を急ぎ追いかける(飛び六方)。

ーー引用ここまで

相手が日本人の場合はこれでもよい。

しかし外国人である場合には下手をすると日本人が皆殺しにされるところだったのである。

つまり彼の行為は国として容認できるものではなかった。

これにより杉原千畝は国からすべてを剥奪されたが当然の事であろう。

問題の本質を間違えてはならない。

ーー

植村、朝日新聞記事は、記事の国益にとって害の有無だけが問われる。

単純に考えれば有罪。
言い逃れはできない。

個々の例については別に述べる。

2016年8月28日 (日)

西尾氏の日本の歴史、哲学、思想を再復活させる情熱は並大抵ではない

ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集qazx

西尾幹二『GHQ禁書図書開封12 日本人の生と死』(徳間書店)

GHQは、日本的思想を消滅させ、武士道精神を忘却させ、アメリカの思い通りの日本人を作ろうとした。

その為に、GHQは、在日・反日勢力を総動員して、日本の歴史、哲学、思想書などを一覧表にし、没収し、日本社会から葬り去った。

西尾氏は、これら在日・反日勢力が焚書にした図書を探し出し、復刻して解説を加えてきたのだった。

西尾氏の日本の歴史、哲学、思想を再復活させる情熱は並大抵ではない。

GHQ禁書図書開封シリーズも12冊目、凄いことである。

ーー

この巻では、西尾氏はまず和辻哲郎の作品二冊を取り上げている。

ひとつが『日本の臣道』、そして『アメリカの国民性』である。

これらの作品を解説しながら西尾氏はときどき立ち止まり、現代との比較に思考をめぐらしている。

ーー

和辻は日本人の高貴な精神を説いた。

「日本人の強さは常に生死を超越する精神を持っていることにあります」

ムスリムの自爆行為と特攻隊の行為を比較してこう言われる。

「日本の特攻隊とイスラムの自爆者たちとを関連づけ、両者を同じように扱う人がいました。評論家の立花隆がそうです」

「私は大いに疑問をもっています」

死ねば天国へ行けると教唆されて自爆するムスリムが、なぜ特攻隊と同じなのか。

オーストラリアの文学者も、三島由紀夫の自刃とムスリムの自爆を同列に論じていた。

ーー

西尾氏はこう書かれている。

立花隆は「日本人の過去の行為を汚したくてウズウズしている人」だ。

「日本の特攻隊はいよいよ最後の土壇場で、自国の運命が完全に破局になりかかっているときに『お先に行ってまいります』と行って飛び立って行った」

「自分の死は徒死に終わるかも知れないけれど、やがて戦争が終わり、講和条約が結ばれる時、自分たちの死が我が国の未来になにほどかの役に立つのではないかと思い定めた」

西尾氏は、この文脈で、愛する人や家族のためにのみ死んで行ったとする『永遠のゼロ』の作者をもさりげなく批判している。

以下、和辻の代表作とも言える二冊の要旨を纏められ、その歴史観の正しさを検証されている。

ーー

また山中峰太郎を評価されている箇所も、じつに面白く読んだ。

山中と言えば血湧き肉躍る冒険物語が多いが、戦前に日本主義的な立場からの随筆や評論を書かれていたことは知らなかった。

ーー

本巻の後半は司馬遼太郎の乃木大将を誹謗した『殉死』について、認識の間違いに触れ批判している。

司馬遼太郎作品について、評者は、『燃えよ、剣』と『台湾紀行』の二作品しか評価しない。

ほかの作品は全て駄作だ。

歴史に「司馬史観」という身勝手な解釈を加えている。

そんな司馬作品を良いと評価する人については、その人の識見を疑う。

2016年8月27日 (土)

現行憲法によって日本国という国の形が決まっているのではない

ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集qazx

西村幸祐『日本人に「憲法は要らない」』(ベスト新書)

筆者は冒頭に福田恒存著『当用憲法論』より次の言葉を掲げている。

「前文ばかりではない。当用憲法の各条項はすべて同種の死文の堆積です。こんなものを信じたり、有り難がったりする人は、左右を問わず信じる気にはなりません」

現行憲法は、GHQの占領基本法でしかない。

国際法に違反した憲法なのだから廃棄するのがもっとも正しい。

ーー

日本人は17条憲法以来、憲法というのは「教え(憲)の中の教え(法)」と考えてきた。

しかし近代憲法は、国の形(構造)を規定するものであり、そこには「教え」は存在しないのである。

ーー

西村氏は続ける。

「憲法について考えるということは、今後の日本(の形)を考えるということだ」

ところが、戦後七十年、日本で行われてきた憲法議論は、改憲か護憲かという、全く無駄なものだった。

その議論には今後の日本国の形についての議論は何もないではないか。

国の形としての憲法など無くても、日本は古来より日本であり続けてきたではないかと西村氏は指摘するのだ。

「日本はもっと自信を持つべきだ。憲法(the constitution、国の形をきめた文章)など必要としない歴史と文化を、日本は持っている」

つまり現行憲法によって日本国という国の形が決まっているのではない、と。

ーー

嘗て『正論』にアンケートを求められたおりに、評者(宮崎)は以下の様に書いた。

ーー

現行憲法は占領軍が被占領国に強制した法律もどきで、国際法的にも無効である。

独立を達成したのならば自主憲法制定がふさわしい。

とりあえずは十七条憲法と五ヶ条のご誓文にもどり、あとは不文律で良い。

ーーと。

つまり憲法(the constitution、国の形をきめた文章)などは要らないという主旨のことを書いた。

が、まさに西村氏の言っている内容も同じである。

ーー

ーー以下「遠藤健太郎ブログ」より抜粋編集qazx

【日経】自民・二階氏「女性天皇容認を」
女性宮家創設も求める
2016/8/25 20:01
自民党の二階俊博幹事長は25日、BS朝日の番組収録で「女性尊重の時代に天皇陛下だけはそうならんというのはおかしい。時代遅れのところがある」と述べた。将来は女性天皇や「女性宮家」創設を認めるべきだとの考えを示したものだ。天皇陛下の生前退位に関して「この機会に一緒に議論できればいいが、無理ならば切り離して考えればいい」と指摘した。

ーーここまで引用

二階事務所は、また警察に泣きを入れなければならなくなってもよいのでしょうか。

皇室のことを国会議員が意見できると思っている無知こそがわが国の政治を駄目にしています。

これは「発言してはいけない内容だ」と政策秘書が本人に教えておきなさい。

せっかく私が「何の思想にも拘泥しないただの口利き屋さん」と庇(かば)ってあげている(笑)のに。

また厳しい人たちに怒鳴り込まれ莫迦にされるかもしれませんよ。

ーー

「女性尊重の時代に(中略)時代遅れのところがある」という発言に、この人の口利き屋でしかない無知が垣間見えます。

このような無関係な「女性尊重時代」と「女帝」との結びつけ方は、かつても見られました。

しかし我が国では西暦554年にはもう推古天皇という女帝陛下がおわした。

それに日本国の国体そのものであるご皇室に関しては、時代遅れも何もないのです。

何も勉強していないこの政治家に対する評価は、ただ哀れという他ありますまい。

2016年8月26日 (金)

今米国では、支那や支那人に対する見方が激変しだした

ーー以下「株式日記toraさんの意見」より抜粋編集qazx

インドやベトナムは日米そして露に接近している。

そして日本は、フィリピン、ベトナム、インドとの軍事交流を推進し、日露平和条約締結に向けて注力している。

これは日本、フィリピン、ベトナム、インドが、武力を振り回して恫喝する「支那」を「最大の脅威」とみなしているからだ。

ーー

一方、支那は、韓国、ミャンマー、タイ、カンボジア、ラオス、マレーシア、フィリピン、インドネシア等を仲間に入れようと画策している。

ーー

しかし米国(共和党・民主党)の既得権益者(エスタブリッシュメント)らの敵はこれまで支那ではなかったのである。

ーー

米の中東政策の失敗は、敵を味方と誤認したことが原因だった。

米国の敵は、イラン、シリア、パレスチナ、味方はイスラエル、トルコ、サウジアラビアであったはずなのだ。

ところが、米国は、イラン、シリア、パレスチナと講和してしまったのだった。

これでイスラエル、トルコ、サウジアラビアが、米国は信頼できないとばかりに、米国ではなく露に接近しだした。

すると米は、ますます露を敵視することに成るというわけだ。

ーー

米はアジアでも敵とすべき相手を間違っているのではないか。

ーー

米国はこれまで親支的に見える政策を採用してきた。

ところがその中身は、支那を植民地化しようとしていたのだった。

米国は支那人を安価な労働力としか考えていなかった。

ーー

一方の日本は、満州に王道楽土(法治国家)を築こうとしていた。

米国は、支那を植民地化して儲ける方を選び、日本を敗戦に追い込んだ。

そして結局、支那利権を全て失い、支那全土を支那共産党に渡してしまったのだった。

ーー

1989年に日本が経済バブルで、米経済を凌駕するようになると、米国は、日本を敵視するような政策を採る様になる。

そして結局、支那を経済大国にしてしまった。

すると、支那は、武力を周辺諸国に誇示するようになり、米国が築いた戦後体制に挑戦してくるようになったのだった。

ーー

今米国では、支那や支那人に対する見方が激変しだした。

かつての親支家マイケル・ピルズベリーは、彼の著「China 2049」の中で、支那人に騙されていたと書いた。

フーバー研究所は、支那人人権活動家ハリー・ウーこと呉弘達をかつて客員研究員に招いていた。

その幹部が呉弘達に対して、「研究がいい加減であり、内容は杜撰、フーバー研究所とは無縁の人と思っていただきたい」と絶縁に近い声明を出した。

ここに来て、世界の軍事費の5割を維持してきた米国が、いよいよ一番の敵を支那に決めようとしているように見える。

2016年8月25日 (木)

支那人「人権活動家」の実像が暴かれた

ーー以下「宮崎正弘ブログ」より抜粋編集qazx

ことしの4月26日、人権活動家ハリー・ウーこと呉弘達が休暇先のホンジュラスで死亡した。

訃報に接し、ナンシー・ペロシ(米民主党下院院内総務)は最大級の弔意を表明した。

「かけがえのない人物だった。民主と人権の闘士として生涯を捧げた。世界にとって大きな損失である」と。

ところが、彼の死後つぎつぎと彼の「実像」が暴かれたのだ。

ーー

晩年、彼は「支那労働改造所でなくなった遺族への生活援助」などを名目にワシントンに「労働改造研究財団」を設立した。

小さな写真パネルの記念館も併設し、2000万ドルの資金を集めた。

しかし、遺族等の見舞金に使われたのは300万ドル足らずで、残りの1700万ドルは彼の私的な活動に使われた(アジアタイムズ、8月22日)。

そして「モラルが破壊していた」
「公金横領の疑いが濃厚」
「公金を彼女のために使っていた」

などと批判が相次いだ。

ーー

それも米国の支那系メディアではなく、『フォーリンポリシィ』(4月25日号)や『ニューヨークタイムズ』(8月14日付け)が報道した。

ーー

呉弘達は1985年に米国へ渡り、妹の住むサンフランシスコでUCBAに通いながら昼はドーナツ屋で働くという生活をしていた。

彼は銀行家の息子として生まれ反右派闘争では労働改造所送りとはなっていない。

ところが彼は、労働改造所での「体験談」を近所で講演していたのだった。

このころにハリーは米国永住権を獲得している。

ーー

講演の評判がフーバー研究所のラモン・マイヤーズの耳に入った。

そしてマイヤーズの引き立てで、フーバー研究所客員研究員となるが、彼は、1991年にはワシントンDCへ進出し、財団を設立した。

同時にボーイング社やKマート本社にピケを張り、「販売している支那製品には労働改造所で作られた製品が多いのは問題だ」と煽動した。

左派や人権グループが応援に駆けつけ、新聞ダネになった。

ーー

ハリー・ウーは1995年、新彊ウィグル自治区へカザフスタンから潜入を試み逮捕される。

ときのクリントン政権は、「人権」を楯に北京に釈放を要求し、彼は米国へと凱旋し一躍米国の有名人となり、ノーベル賞候補にされた。

しかし「かれの自伝は誇張が大きい」とされてきた。

ーー

かつて彼がフーバー研究所の客員研究員として報告した、労働改造所の数、労働者の数は、他の研究者のそれと大きく違っていたのだ。

彼の死後、彼が、労働改造所送りにはなっていなかったことや、財団のカネを私的に使っていたことがばれ、多くの支援者を失望させるに至った。

フーバー研究所の幹部は「研究がいい加減であり、内容は杜撰、フーバー研究所とは無縁の人と思っていただきたい」と絶縁に近い声明を出した。

2016年8月24日 (水)

日本人はまさに最高に洗練されたタタール人である

ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集qazx

チャールズ・マクファーレン渡邉惣樹訳『日本1852』(草思社文庫)

この本がニューヨークで出版されたのはペリー提督が日本へ遠征航海に出る四ヶ月前のことだった。

ペリーの野望はいまさら説明するまでもないが
1、支那との交易のために
2、日本を中継拠点化すること
3、鯨油というのは口実で、あくまで貯炭場である

ペリー艦隊は大西洋を南下し、喜望峰を超えてインド洋からマラッカ海峡、そしてマカオ、沖縄、小笠原を経て、1853年に下田に入った。

その長い航海中に、ペリーは本書を何回も読み込んでいたはずだ。

ーー

つまりこの書は、副題にあるように「ペリー遠征計画の基礎資料」であったのだ。

ーー

著者のマクファーレンは日本に来たことがない。

しかし長崎出島に暮らしたオランダ人や、ポルトガル、スペインの宣教師や商人等の書簡、シーボルトの日誌や彼が集めた日本についての資料をこまめに集めている。

そして彼は、それらすべてに目を通し、日本を徹底的に分析してみせたのだ。

ーー

世界を知る立場に居た白人たちには、もうマルコポーロの大風呂敷は通用しなかった。

そんな白人たちを納得させるためには、客観的な証拠(資料)が要求される時代になっていたのだった。

ーー

それではマクファーレンはヨーロッパで集めた資料から、どのような日本人像を描いたのか。

日本では女性の地位がおどろくほど高いとし、また民族的にはモンゴル系で支那人とは決定的に異なると断定している。

支那人については、「戦いを回避する傾向が強く、臆病なところがある。おとなしくさせるのは簡単だが、小ずるく、疑い深く強欲で、すぐに賄賂が横行し、高利貸しなどに手を染める」と。

一方の日本人は、「まさに最高に洗練されたタタール人である」「支那人より強靭で勇敢な民族である」「身のこなしかたがすばやく敏捷で行動が大胆である」と。

(白人にとってのタタールは、欧州を脅(おびや)かしロシアに軛(くびき)を課した民族と認識されてきた)

この日本人と支那人との民族性の差違は今も全く変わらない。

ーー

ペリーは事前に、日本の天皇と将軍という二重の政治体制、礼節を重んじ、神道を信仰し、教養の高い民族であって、支那人とは正反対であることなどを知っていたのだ。

ーー

また本書にはキリスト教徒の反乱(「天草の乱」)についての記述もある。

「天草の乱」は、外国人の目を通して、外国に伝えられていたことが分かる。

ーー

評者(宮崎)はかつて、吉田松陰の平戸留学を調べるために、平戸に行ったことがあった。

平戸には古今東西の名著古典がそろっていた。

そして吉田松陰が逗留した紙屋という旅籠(はたご)から歩いて五分もかからないところに三浦按針邸があった。

三浦按針は平戸で亡くなっていてその碑まであった。

なぜそんなものが残されているのか?

ーー以下wikipediaより抜粋編集qazx

1600年4月29日(慶長5年3月16日)、リーフデ号は豊後臼杵の黒島に漂着した。自力では上陸できなかった乗組員は、臼杵城主太田一吉の出した小舟でようやく日本の土を踏んだ。太田は長崎奉行の寺沢広高に通報した。寺沢はアダムスらを拘束し、船内に積まれていた大砲や火縄銃、弾薬といった武器を没収したのち、大坂城の豊臣秀頼に指示を仰いだ。この間にイエズス会の宣教師たちが訪れ、オランダ人やイングランド人を即刻処刑するように要求している。

結局、五大老首座の徳川家康が指示し、重体で身動きの取れない船長ヤコブ・クワッケルナックに代わり、アダムスとヤン=ヨーステン・ファン・ローデンスタイン、メルキオール・ファン・サントフォールトらを大坂に護送させ、併せて船も回航させた。

5月12日、家康は初めて彼らを引見する。イエズス会士の注進でリーフデ号を海賊船だと思い込んでいた家康だったが、路程や航海の目的、オランダやイングランドなどプロテスタント国とポルトガル・スペインらカトリック国との紛争を臆せず説明するアダムスとヤン=ヨーステンを気に入って誤解を解いた。しばらく乗組員たちを投獄したものの、執拗に処刑を要求する宣教師らを黙殺した家康は、幾度かにわたって引見を繰り返した後に釈放し、城地である江戸に招く。

ーー

江戸でのアダムスは帰国を願い出たが、叶うことはなかった。代わりに家康は米や俸給を与えて慰留し、外国使節との対面や外交交渉に際して通訳を任せたり、助言を求めたりした。またこの時期に、幾何学や数学、航海術などの知識を家康以下の側近に授けたとも言われている。帰国を諦めつつあったアダムスは、1602年頃に日本橋大伝馬町の名主で家康の御用商人でもあった馬込勘解由の娘、お雪(マリア)と結婚した。彼女との間には、息子ジョゼフと娘スザンナが生まれている。

やがて江戸湾に係留されていたリーフデ号が沈没すると、船大工としての経験を買われて、西洋式の帆船を建造することを要請される。永らく造船の現場から遠ざかっていたアダムスは、当初は固辞したものの受け入れざるを得なくなり、伊東に日本で初めての造船ドックを設けて80tの帆船を建造した。これが1604年に完成すると、気をよくした家康は大型船の建造を指示、1607年には120tの船舶を完成させる(この船は1610年になって、房総の御宿海岸で遭難し地元民に救助された前フィリピン総督ロドリゴ・デ・ビベロに家康から貸し出され、サン・ブエナ・ベントゥーラ号(英語版)と名付けられた)。

この功績を賞した家康は、さらなる慰留の意味もあってアダムスを250石取りの旗本に取り立て、帯刀を許したのみならず相模国逸見(へみ)に采地も与えた。また、三浦按針("按針"の名は、彼の職業である水先案内人の意。姓の"三浦"は領地のある三浦半島にちなむ)の名乗りを与えられ、異国人でありながら日本の武士として生きるという数奇な境遇を得たのである。のち、この所領は息子のジョゼフが相続し、三浦按針の名乗りもジョゼフに継承されている。

1613年に東インド会社のクローブ号が交易を求めて日本に来航した際、一行に付き添い、家康らとの謁見を実現させ、貿易を許可する朱印状を取りつけるなどの手助けをした。1614年のクローブ号帰還の際には、一緒に帰国できる許可が日英両方から出たが、同船司令官のジョン・セーリスと馬が合わず、帰国を見送った。セーリスは何事も日本式を強要するアダムズが気に入らず、アダムズはセーリスを生意気で無礼な青二才として嫌っていた。一行が去ったあとは、それまで手伝っていたオランダ商館より安い賃金だったが、母国イギリス商館の仕事を手伝った。

ーー

家康に信頼された按針だが、1616年4月に家康が亡くなり、跡を継いだ徳川秀忠をはじめ幕臣たちの方針で貿易を平戸のみに制限し鎖国体制を敷いたため、按針の立場は不遇となった。以降の按針の役目は天文官のみとなり、幕臣や次期将軍候補の徳川家光らに警戒されながら、按針は憂鬱な状態のまま、1620年5月16日に平戸で没した。55歳であった。

ーー引用ここまで

本書ではこのような按針の日本での生涯を正確に紹介しているばかりか、望郷の念深きアダムスが英国の妻子へ書き送った手紙を紹介している。

ーー

本書は平戸に三浦按針邸跡碑が残されたその理由と背景を次のように書いている。

家康は英国にのみ、無関税という特権を与え平戸での交易を許可したのだ。

「日本の港に到着した船は全て平戸に回航されることを命じられ、交易はこの港に限られる」

しかし「日本に持ち込む商品の選択がイギリスでいい加減にされたらしい。日本での需要が殆ど見込めないものばかりで、平戸商館の商売は結局利益が出せないでいた」

かくして英国側が日本での交易を途中であきらめたのだと。

ーー

家康は、オランダの興隆の謎、更には、アジア情勢、カソリックとプロテスタントの対立、ポルトガルとスペインがなぜいがみ合っているのかについても按針から聞き出している。

家康はここに貴重な情報源を得て当時の白人が手にしていた世界を知ったのであった。

ーー

この本こそがペリーに日本への大いなる興味を抱かせたものであることは間違いないだろう。

ーー

ペリーはこの本から正確な日本情報を仕入れていた。

そのうえでペリーは、徳川幕府との交渉に臨んでいたことになる。

この本は渡邉氏によって2010年に単行本として刊行されているが、このたび文庫本に入った。

僅か900円で、この古典的名著が手に入ることとなった。

2016年8月23日 (火)

習近平の「愛国」は国の資産を盗んでいる人たちの偽装にすぎない

ーー以下「宮崎正弘ブログ」より抜粋編集qazx

支那経済には、表と裏がある。

表というのはわかるもの、裏というのはわからないものだ。

例えば企業活動についても、分かるのは、支那に進出した外国企業の活動だけなのである。

その活動状況は、例えばトヨタや日産、フォルクスワーゲンなど販売台数でわかる。

翻って支那企業の活動実態については何もわからない。

ーー

かろうじて支那の経済でわかるのは、電力消費、鉄道貨物輸送くらい。

これらが減っているのに「6%の経済成長」はあり得ないということになる。

輸出入の決済残高などいくらでも操作できるのであてにならないのだ。

ーー

一番怪しいのは、北京が発表している外貨準備だ。

2014年に3兆8千800億
2015年に3兆3300億
2016年6月現在で3兆1923億ドル

と、1年半の間に6千億ドルも急減しているのだ。

外貨準備とは輸出から輸入を引いた経常収支の累積だ。

これが減り出したということは、実質的には貿易赤字になっているということに成る。

ーー

しかも、北京は、外国からの借金も外貨準備に加えている。

この1年間に北京は、米国債(1兆2千億ドルある)を担保に外国から5千億ドルを借りている。

外貨準備がふんだんにあるのに外国から金を借りるのはどう見てもおかしい。

ーー

さてそれでは裏経済はどうなっているのか。

それが分からないので、以下はもちろん推測である。

例えば、高速鉄道の敷設に対して、北京政府が業者に10兆元支払う。

すると業者は、5兆元の賄賂を担当官僚に支払う。

賄賂は、支那では行政の隅々まで行われており、もはや経済活動の一種、つまり文化なのである。

担当官僚に支払われた賄賂は、香港に持ち出されて洗浄され、さらに英領バージン諸島へと渡る。

そのおカネ(外国籍)が、支那国内の株と不動産の投機資金になっていたのである。

ーー

北京が、この出て行った金で、認めたのは1千億ドル。

北京の内部文書によると1兆800億ドルと報告されている。

北京は借金も外貨準備に入れるので、この1年半で消失した外貨準備6千億ドルと借金5千億ドルを加えると辻褄が合う。
 
ーー

2001年の9・11多発テロ対策として、アメリカは法律を変え、世界中の銀行間の資金移動を監視出来る体制を作った。

これは恐怖暴力集団(テロリスト)に渡る資金を断つためだった。

この監視網に入った資金の動きからすると、香港で洗浄された額は、3兆800億ドルだという。

これは、GFIというCIA関連のワシントンのシンクタンクが公表した数字だ。

ーー

習近平は「愛国心による中華民族の復興の夢」なるものを説いている。

しかし習近平の言う「愛国」は国の資産を盗んでいる人たちの偽装にすぎない。

彼らは、国から盗んだカネで、子女を留学させ海外に豪邸を買って棲まわせているのだから。

2016年8月22日 (月)

作り話を執拗に垂れ流した朝日新聞

ーー以下【産経抄8/20】より抜粋編集qazx

▼19日付小紙朝刊に、韓国や中国の民間団体が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(記憶遺産)に登録申請している慰安婦資料に関する記事が載っていた。資料の中心は、客観的な検証がなされていない元慰安婦の証言なのだという。

▼朝日新聞は故吉田清治氏の朝鮮半島で慰安婦狩りをしたという作り話を執拗(しつよう)に垂れ流し、日本軍による強制連行説を世界に広めた。吉田氏の長男が、雑誌『新潮45』9月号でジャーナリスト、大高未貴氏の取材に父の過ちを「世界中の慰安婦像をクレーン車で撤去したい」と悔いていた。

▼米紙は、オバマ米大統領が検討する核兵器の先制不使用について、安倍晋三首相が反対の意向を伝えたと繰り返し報道した。民進党の岡田克也代表は18日の記者会見で、「これだけ報道されるということは、そういう働きかけがあるのでは」と指摘した。米政府高官が情報源というが、高官とは誰か。

▼この場合、米紙の報道があったこと自体は事実だが、報道内容が正しいとは限らない。高官が証言したのはその通りなのだろうが、高官が本当のことを言っているのかどうかは分からない。小欄の取材では、安倍首相は周囲に「記事は間違い。私はそんな発言をしていない」と明言している。

▼「真実を伝える」、この至難の業について、軽々しく口にするニュースキャスターたちはうさんくさい。

ーー抜粋ここまで

ーー以下「zakzak、ケント・ギルバートコラム」より抜粋編集qazx

数年前の私ケント・ギルバートもそうだったが、自分自身で事実を確認しない人間は、大手メディアが、それらしい主張を何度も繰り返すと簡単にだまされる。

終戦(1945年8月)から、75年4月までの間に、歴代首相は30回ほど、靖国参拝を行った。

昭和天皇も何度も参拝された。

この間、公人の靖国参拝を問題視する報道は見当たらない。

ーー

確かに、GHQ(連合国軍総司令部)は一時期、靖国神社を「軍国主義の象徴」と考えて、解体も検討したが、最終的には存続を許した。

戦争の記憶が生々しい時代は、日本国民だけでなく、中華民国を含む連合国も、首相の靖国参拝を問題視していないことになる。

ーー

歴代首相の靖国参拝は春秋の例大祭の時期が多かったが、三木赳夫首相(当時)は1975年、「終戦の日」である8月15日に参拝した。

そのとき、記者団が「参拝は、私人か公人か」と聞き、三木首相は「私的立場で参拝した」と答えてしまった。

左派メディアは、憲法の「政教分離の原則」に絡めて、政治家の靖国参拝を「私的参拝」か「公的参拝」かと問題視した。

一部の野党と宗教団体も便乗して騒ぎ、昭和天皇はこの後、靖国参拝を見送られたと聞く。

ーー

1985年8月15日、中曽根康弘首相が靖国神社を参拝すると、朝日は突然大宣伝を始めた。

8月だけで100本近い記事が掲載されたという指摘もある。

ほかの左派メディアや野党も追随し、共産支那や韓国で、大きな反日運動が起きた。

ーー

左派メディアや野党はこのようにして共産支那・韓国に「靖国という外交カード」を献上したのだった。

ーー

今も、左派メディアは「靖国神社は軍国主義の象徴だから」とか、「A級戦犯が合祀(ごうし)されているから」という理由で、首相らの参拝に反対している。

国民を代表する首相や閣僚が、戦争で尊い命をささげられた方々が祀られている場所に参拝し、英霊に尊崇の念をささげるのは自然なことではないのか。

日本人は戦死軍人追悼するための施設として日本式に戦死者の御霊を靖国神社に祭った。

これは、日本にとっての米戦死軍人追悼施設アーリントン国立墓地のようなものだ。

米歴代大統領は、アーリントン国立墓地に参拝し、英霊に尊崇の念をささげる。

ーー抜粋ここまで

ーー以下「yoikuni1414さん 2014/1/2016:27:20」より抜粋編集qazx

墓だの神社など宗教などと言う低次元の話ではなく、靖国神社は日本式の戦死軍人追悼施設です。

国防のために戦死した軍人を追悼するというのは、国家の根本です(靖国反対派は国防そのもの否定する連中が多い)。

また日本においては特定宗教に過度の帰依せず、神道、仏教、基督教をTPOに使い分けるのが一般的です。

特定宗教に過度に帰依し社会的習慣風習にイチャモンつけるのはカルトと言っても良いでしょう。

ーー

アーリントン墓地、無名戦士の墓等々各国には国家を代表する戦死軍人追悼施設があります。

そこに奉られる基準は各国ばらばら、また1箇所に必ずしもすべての戦死軍人が葬られている訳ではありません。

が、各国には国家を代表する施設として全戦死軍人の追悼を行う施設があるのです。

戦死軍人追悼は戦争の勝敗や意義とは無関係で、それぞれの時代において国家のため命を捧げた軍人が対象となっています。

(インディアン討伐虐殺、植民地獲得、原住民討伐虐殺行った軍人も奉られるし、それはその時期の国家にとっての正義とされていたからです)

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